本質的な視点を [yogaクラス]
単に「立つ」姿勢のことを、ヨガのポーズでは「タダアーサナ」といいます。
見かけはまさに立っているだけ…でも、それは実に奥深いものです。
月に2回やっている私のヨガクラス「Essenntial Practice」はその名の通り、エッセンシャル=本質的な練習をするクラスです。
クラスの前半はじっくりと体と向き合い、私の言葉のガイドを頼りに、ただ「立つ」ことをします。
もちろん「普遍的な体の使い方」みたいなものが存在するわけですが、まず感じるのは、自分のクセを手放していくことの難しさだと思います。
体のクセは心のクセでもあり、何十年も繰り返してきた自分の歴史が体に現れています。
「心が硬い人は体も硬い」とか「心が開いていないと胸が開かない(後屈が苦手)」などなど、過去にこんな言葉を聞いてきました。
体が硬い私には「ぐさっ」と刺さる言葉です。
ヨガをアーサナ(ポーズ)だけでとらえていると、そんな言葉の表現になってしまうのは残念です。体の硬い人がみんながみんな、そういうわけでもないのですから。
紀元前から途絶えることなく続くヨガの智恵って、そんなちっぽけな知識や視点ではないはずです。
私たちは生まれた環境、与えられた環境というものが確かにあります。
自分の好きな道を生きてきた!といっても、生まれた環境は与えられたもの。
試練のような辛さや忙しさ、心の苦しさを避けられない時もあります。
体の硬さは人生で頑張った「勲章」みたいなもの。その過去から真実をみいだせば、自分自身の深い部分と繋がることができます。
毎日いろんなことがありました。自分にとって好ましいこと、好ましくないこと。上手くこなせる事もあれば、どうしても避けられない事もありました。
個人の視点でとらえると「辛いこと」でも、それってただ単に「起こっていた」のです。
すごく雑な言い方なのですが、この世界ってそうゆうものです。晴れの日があれば嵐の日もある。
「あるがまま」なんです。「この世界は全てあるがままに起こっている」ということ。つまりそれは「自然」「全体」みたいなもの。
その客観的な視点をもつことは、とてもとても大事だと思います。
つまり「あるがまま」を「あるがまま」に見るという視点。
自分で自分を苦しめなくて済みます。
でも、私たちは目の前の仕事や役割に追われて、考えや感情に飲み込まれていることが多いのです。
そんな時は、無意識に体に力が入っています。呼吸が浅くなり、肩や首のあたりで呼吸をしています。
ちょっとだけ、意識的に客観的な視点を持ってみる。
まるで宇宙から地球を眺めるように…自分を含めた「人間」の営みを想ったり、人生の流れを想ったり…その視点に立つと、目の前の人が許せたり、目の前の問題が少し小さく思えたりします。
そしてリラックスして深い呼吸をしましょう。
呼吸だけじゃだめなんです。呼吸プラス客観的な視点。
そうやって、自分の視点を「個人」から「大きなもの」にゆだねてみる。
これは瞑想の始まりです。
ヨガの瞑想はリラックスして考えを止めることではないのです。
瞑想は自分を超えた「大きなもの」を意識的に想う、気づいていくこと。
自然やご先祖さまに感謝する気持ちだったり、毎日の日常に感謝する思いだったり、家族や周りの人を想う気持ちだったり、何か計り知れない力に祈る想いだったり…その視点と繋がること。
アーサナヨガだって、動く瞑想のように、日常の思考から離れて、呼吸を通して体を通して、その視点に気づく道具になります。
体が硬くなったのも仕方がないのです。でも客観的な視点から生きることの本質に気づいていくと、心も体も少しずつ楽になります。
私たちはいわゆる世間の「勝ち」や「成功」を得るために生きているのではないのです。
たとえ上手くいかないことがあっても、私自身の価値が下がるわけではない。
あるがままのこの世界に私たちがどう存在しているのか、その本質に気づいていくことが「生きる」目的なんです。
「ヨガという生き方」はそれを教えています。
そこに気づきながら、この世界をもっと楽しめばいい。
「自分が在る」って嬉しいじゃない。「在る」から全てこの世界が始まっているのです。
「家族が在る」「仲間が在る」「世界がある」「成功がある」「失敗がある」「感動がある」「怒りがある」
客観的な視点でながめると、今まで気づかなかったことに、ゆっくり気がついたりします。「この世界が美しいな~」「人が愛おしいな~」って、もっともっと感じる時が来るかもしれません。
自分を縛っていた考えのクセ、体のクセからもっと開放されるかもしれません。
「ああ、体ってこんな風に動くんだ。こんな風に広がるんだ。自分ってこんなに心地いいんだ」って気づくかもしれません。
ヨガを通して自分を超えた「大きなもの」と繋がること。そして客観的に「あるがまま」の自分を知ること、感じること。
「タダアーサナ」という単に立つポーズをしながら、自分がここに「在る」ことを感じていただけたら嬉しいです。
もちろんEssential Practiceでは、ほかのアーサナもたくさんやりますよ~
ヨガを深めたい方はどうぞご参加ください~(^^♪
☆Essential Practice 水曜10:30~12:00 @SATTVAスタジオ
2018年 12/5、12/19、 2019年 1/16、1/30、2/13、2/27、3/13、3/1
↑意識的に立つ姿勢は実に美しいものです。
見かけはまさに立っているだけ…でも、それは実に奥深いものです。
月に2回やっている私のヨガクラス「Essenntial Practice」はその名の通り、エッセンシャル=本質的な練習をするクラスです。
クラスの前半はじっくりと体と向き合い、私の言葉のガイドを頼りに、ただ「立つ」ことをします。
もちろん「普遍的な体の使い方」みたいなものが存在するわけですが、まず感じるのは、自分のクセを手放していくことの難しさだと思います。
体のクセは心のクセでもあり、何十年も繰り返してきた自分の歴史が体に現れています。
「心が硬い人は体も硬い」とか「心が開いていないと胸が開かない(後屈が苦手)」などなど、過去にこんな言葉を聞いてきました。
体が硬い私には「ぐさっ」と刺さる言葉です。
ヨガをアーサナ(ポーズ)だけでとらえていると、そんな言葉の表現になってしまうのは残念です。体の硬い人がみんながみんな、そういうわけでもないのですから。
紀元前から途絶えることなく続くヨガの智恵って、そんなちっぽけな知識や視点ではないはずです。
私たちはヨガを通して何に気づいていけばよいのでしょうか。
私たちは生まれた環境、与えられた環境というものが確かにあります。
自分の好きな道を生きてきた!といっても、生まれた環境は与えられたもの。
試練のような辛さや忙しさ、心の苦しさを避けられない時もあります。
体の硬さは人生で頑張った「勲章」みたいなもの。その過去から真実をみいだせば、自分自身の深い部分と繋がることができます。
毎日いろんなことがありました。自分にとって好ましいこと、好ましくないこと。上手くこなせる事もあれば、どうしても避けられない事もありました。
個人の視点でとらえると「辛いこと」でも、それってただ単に「起こっていた」のです。
すごく雑な言い方なのですが、この世界ってそうゆうものです。晴れの日があれば嵐の日もある。
「あるがまま」なんです。「この世界は全てあるがままに起こっている」ということ。つまりそれは「自然」「全体」みたいなもの。
その客観的な視点をもつことは、とてもとても大事だと思います。
つまり「あるがまま」を「あるがまま」に見るという視点。
自分で自分を苦しめなくて済みます。
でも、私たちは目の前の仕事や役割に追われて、考えや感情に飲み込まれていることが多いのです。
そんな時は、無意識に体に力が入っています。呼吸が浅くなり、肩や首のあたりで呼吸をしています。
ちょっとだけ、意識的に客観的な視点を持ってみる。
まるで宇宙から地球を眺めるように…自分を含めた「人間」の営みを想ったり、人生の流れを想ったり…その視点に立つと、目の前の人が許せたり、目の前の問題が少し小さく思えたりします。
そしてリラックスして深い呼吸をしましょう。
呼吸だけじゃだめなんです。呼吸プラス客観的な視点。
そうやって、自分の視点を「個人」から「大きなもの」にゆだねてみる。
これは瞑想の始まりです。
ヨガの瞑想はリラックスして考えを止めることではないのです。
瞑想は自分を超えた「大きなもの」を意識的に想う、気づいていくこと。
自然やご先祖さまに感謝する気持ちだったり、毎日の日常に感謝する思いだったり、家族や周りの人を想う気持ちだったり、何か計り知れない力に祈る想いだったり…その視点と繋がること。
アーサナヨガだって、動く瞑想のように、日常の思考から離れて、呼吸を通して体を通して、その視点に気づく道具になります。
体が硬くなったのも仕方がないのです。でも客観的な視点から生きることの本質に気づいていくと、心も体も少しずつ楽になります。
私たちはいわゆる世間の「勝ち」や「成功」を得るために生きているのではないのです。
たとえ上手くいかないことがあっても、私自身の価値が下がるわけではない。
あるがままのこの世界に私たちがどう存在しているのか、その本質に気づいていくことが「生きる」目的なんです。
「ヨガという生き方」はそれを教えています。
そこに気づきながら、この世界をもっと楽しめばいい。
「自分が在る」って嬉しいじゃない。「在る」から全てこの世界が始まっているのです。
「家族が在る」「仲間が在る」「世界がある」「成功がある」「失敗がある」「感動がある」「怒りがある」
客観的な視点でながめると、今まで気づかなかったことに、ゆっくり気がついたりします。「この世界が美しいな~」「人が愛おしいな~」って、もっともっと感じる時が来るかもしれません。
自分を縛っていた考えのクセ、体のクセからもっと開放されるかもしれません。
いつものヨガのポーズなのに、そのさらなる奥深さに気づくかもしれません。
「ああ、体ってこんな風に動くんだ。こんな風に広がるんだ。自分ってこんなに心地いいんだ」って気づくかもしれません。
ヨガを通して自分を超えた「大きなもの」と繋がること。そして客観的に「あるがまま」の自分を知ること、感じること。
「タダアーサナ」という単に立つポーズをしながら、自分がここに「在る」ことを感じていただけたら嬉しいです。
もちろんEssential Practiceでは、ほかのアーサナもたくさんやりますよ~
ヨガを深めたい方はどうぞご参加ください~(^^♪
☆Essential Practice 水曜10:30~12:00 @SATTVAスタジオ
2018年 12/5、12/19、 2019年 1/16、1/30、2/13、2/27、3/13、3/1
↑意識的に立つ姿勢は実に美しいものです。
2018-11-24 15:45
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