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ポットは土だけれど… [ヨーガについての知識]

「ポットは土だけど、土はポットじゃない。」なんのこっちゃ…

私がこの見方を初めて聞いたのは、スワミジからでした。忘れもしない2012年のGW。
いやもちろん、最初は全く意味がわからず「なんのこっちゃ」と(笑)

ポットというのは素焼きの小さな壺のことなんですが、レンガのように土を成型して焼かれたものです。まさに100%土でできた素焼きのポット。

それは100%土なので、粉々に壊せばただの土になります。それなら、ポットって言っていましたが本当にそこにあるのは、ポットじゃなくて単なる土じゃないですか…?

ポットは存在していたのですか? ええ、確かにありました。

では「ポットがある」とき、どうしてそれを「土がある」って言わないのでしょうか。

「ポットらしい形や性質」など、何か”質”や”…らしさ”を装ったとき、その本質は見えなくなってしまうからです。

たとえば、私たちは「花がある」といいますが、花って花びらが集まったものです。

そこにあるのは単なる花びらの集まりですが、「花らしさ」を装っているので、私たちは「花がある」と言います。「花びらがある」とは言わないのです。

「らしさ」はその本質を隠してしまいます。



この見方が「いまこの瞬間の私に起こっている!」なんて全く意味がわかりませんでした。

私たちの本質は「体」「感情」「役割」「気分」…いろいろな「らしさ」を伴っているので、まるで隠れてしまっていますが、「いまここにある!」それが「あたな」なのですよ。

ヨガの先生ならインストラクター養成中に「コーシャ」を学びますね。パンチャコーシャ=5つの鞘。この意味を深めるのにも、とても大事な見方なのです。

ヴェーダンタを学びに来たヨガの先生たちは、みなさん言います。今まで「コーシャ」って何のことかさっぱり意味がわからかったです…ってね。このあたりがヨガの学びの入り口になります。

↓こちらヴェーダンタで使うポットです。
pott.jpg

いま、まさに、「私にここで起こっている!」それはどんなことなのか。

2月の札幌ヴェーダンタ勉強会では、このあたりの話をしながら、皆さんとシェアできる時間になれば良いな…と思います。

パラヴィデヤケンドラム グループスタディでは朝6時から2月14日15日に担当させていただきます。

こちらはタットヴァボーダの15番目、16番目あたりの詩を使いますが、まだタットヴァボーダを勉強してない方も気軽にご参加ください。
https://vedanta.exblog.jp/27301700/



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