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思いやり深く演じてみる [ヨーガについての知識]

「まるで思いやり深く演じなさい、歯ぎしりしてでも!(笑)」

私の講座で見た番組TEDでの一コマ、スワミジのお言葉です。
それは「思いやり」についてのお話でした…

私たちには共感する力が与えられているので、相手の気持ちに寄り添うことができます。
でもそれは一時の「思いやり」なのですよ…と。

思いやりをもって人や社会に貢献できるためには、まずは自分が安全で充分なのだ、と感じていなければできません。

そして、さらに自分自身の中に、「ある偉大さの意味」を見つけなければなりません。

自分がお金持ちだとか、権力があるとか、社会に示せる地位ではなくて、自分自身に偉大さの意味、つまり「全体の意味」を見つけなければなりません。



私たちはどんなに悲痛な人生を生きている人でも、悲しみと悲しみの間にとても幸せな瞬間というのがあります。

その幸せというのが、たとえつまらないジョークで笑っている時だとしても、その瞬間は自分自身を受け入れています。同時に自分自身のいる状況も受け入れています。

それは、全てが完全に受け入れられているということです。主体である私、そして客体である様々なものが、一つの本質の中に溶けこんでしまう瞬間があるのです。

どんなに借金があったとしても、解雇や不幸な出来事があっても、その瞬間は幸せでいられます。
それこそが、私たちが望んでいる幸せであり、「全体」の意味なのです。

その幸せの瞬間が、「全体」のリアリティを明かしています。そこに気づくとき、あなたは新しい人生をはじめます。全てが意味深いことになります。もはや自分自身をとがめる理由がありません。



私たちには、限りがあります。体も、能力も、知識も、健康だって。だから楽しい気分も限られてしまいます。思いやりも、全てが限られてゆくでしょう。

思いやりを要求することはできません。あなたが限りの無い人にならない限り。そして誰も限りの無い人にはなれません。あなた自身が限りの無い人か、そうでないかの二つに一つです。

そしてあなたが限りの無いものではないと言える理由も決して見つけられません。あなたが沢山の限界を持っているにも関わらず、あなたが全体なのです。全体の意味そのものがあなたなのです。

あなたが世界と関わるとき、その全体が力強くあらわれる時、それを「愛」というのです。愛は動詞ではありません。名詞です。

そして、それ自身が「思いやり」になります。あなた自身がその感情を呼び起こすなら、それがさらに「与える」や「分かち合う」に形を変えてゆきます。



あなたはそもそも「思いやり」を持っているのです。自分の中にそれを発見するために、それを自分自身から汲み出すために、まずあなたが思いやり深く演じなければなりません。

同情深く演じるのです。どうやって? そこが、あなたが「フリ」をしなければならない所です。
思いやり深く演じなさい!歯ぎしりしてでも(笑) 「フリをしてそれを成す」のです

はじめは相対的な思いやりでも、もしあなたが正しい教えを得るなら、ゆっくりとその思いやりというのが、あなた自身の本質が力強く現れたものだと発見するでしょう。

それが、唯一という意味、全体という意味であり、それがあなたなのです。



以上が、日曜の夜に開催したZOOM講座で、みんなで見たスワミジの講話を、私が小さく簡単にまとめたモノです。上手く伝わるかしら…(汗)

講座ではこれを題材に、私たちに備わっている普遍のダルマ「サーマンニャダルマ」の意味や、「知識」とは何かを深めました。

知識の認識には二つのレベルがあります。対象物としての知識と、「直の知識」です。この「直の知識」が理解できるとき、「全体」の意味がゆっくりと見えてきます。

ゆっくりとゆっくりと…それを学ぶのは、自分自身が人生で背負った荷物を、1つずつ手放して身軽になっていくことだよと言われています。

次回からもスワミ ダヤーナンダジのお話を、私たちの先生チェータナーナンダジが日本語に訳してくださったテキストを使ってお伝えしていきますね。次回は10/11(日)です(^^)/

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「怒り」から学んでみる [ヨーガについての知識]

私に怒りが起こるとき、それは気づきのチャンスです。

怒りや感情が沸き起こるのはなぜでしょうか?
それは過去に、何かがあったからです。

記憶に基づいて、怒りや感情が沸き起こります。
なにか自分が馬鹿にされたような、自分が損なわれたような感じ。

あるいは、悲しみや、反発する感情、自分を守るために相手を非難したり…。
私たちの考えや感情気分は、日々大忙しです(笑)

ただ、知らないのです。
私にはたくさんの過去の経験と記憶があり、様々な状況を過ごしてきたので、いま怒りが沸き起こりました。ただそれだけのことです。

そしてもう一つの事実は、いま私に怒りを起こさせた相手にも、たくさんの過去の経験と記憶があり、様々な状況を過ごしてきたので、いまそんな風に振舞うのです。ただそれだけ。

自分の感情を客観的に見るためには、ただこの真実から見てみます。
そして自分自身に、その感情から離れる「すき間」を作ります。

ヨーガではこれを「シャマ-sama-」と言います。

こう考えようとか、考えを変えようとしているわけではありません。
怒りを止めるわけでもないし、哲学でもありません。

ただ、自分が見えていなかった真実に目を向けるだけです。

シャマができれば、自分をネタにできます。
「あなたがそんな態度を見せたら、わたし怒っちゃうのよね!」と笑えます。

これがヨーガの始まりです。考えを変えるのではなく、真実をみる。
私たちは見えているようで見えていないことが沢山あります。

ヨーガが教えるリアリティは、ただただビッグな視点です。
宇宙規模なのです。ですから世界観とか宇宙観とか言います。

その真実をリアルに見ていくことで、自分の客観性シャマがどんどん大きくなります。
目の前で大問題だったことが、真実から見ると、ただこの世界で起こっている一つの出来事です。

問題から逃げるわけではありません。客観的視点によって、さらに落ち着いて行動できます。
自分が自分にリラックスしながら、この世界の出来事を楽しめるのです。

「願望を手放せ」なんて言いません。真実の視点から見れば、願望は与えられた恩恵なのです。
「考えを止めろ」なんて言いません。考えを止めたら生活できないじゃないですか。

ヨガスートラはヨガの聖典ではありません。「心の作用を止めること」は間違いです。
考えを止めるのではなく、「間違った見方をしているその視点を正しくしていくこと」なのです。

ヨーガでシャマが大きくなると、見えてくることがあります。

世界は何か影響しあって、目の前に様々な出来事が起こっていること。
そして自分は何か大きなモノに支えられて運ばれていることが見えてきます。

ヨーガの知識を通して、経験を通して、自分自身に真実をみます。
「私こそがリラックスの意味なのね」と。

いらゆる「ワンネス」は、やって来ては去っていく体験ではありません。
あるがままの世界をあるがままに超客観的に超知的に見るとき、私は私によって理解されます。

それをほんの一時、体験するのが「ヨガアーナンダ」シャバーサナのリラックスです。
自分を完全に受け入れられるのです。その可能性はすでに私に「ある」のです。

だから私たちは、それを求めます。みんな自分にリラックスしたいのです。

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こちらのインドのおじさんは怒ってません、ガン見です(笑)






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新しいクラス(勉強会)のご案内 [ヴェーダンタ勉強会]

東京の少し涼しくなりました~夜は虫の声が響き渡りますね。
blogを見てくださりありがとうございます。

さて、日曜の夜にヨガの学びをお伝えするクラス開催のご案内です。
私がこのような講座を始めて、今年で5年目となりました。
今回は講座という形ではなく、zoomで自由に参加しやすい形にしたいと思います。

テキストは新しく、ヴェーダーンタの世界観を日常の言葉で語られている「Spiritual Heritage 」を使います。これらの、私たちが学ぶテキストは全てスワミチェータナーナンダジが日本語に訳して下さったものです。

そして今回から、私は伝統的なやり方と同じダクシナ制でクラスを始めたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

日曜日20:00-21:30 月3回くらいの予定です。
IDをFacebookでお知らせしますので、参加してみたい方はまずメールにてご連絡をください。
hiromimurakoshi@gmail.com

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以下(Facebookより)スケジュールと主な内容です。

9/27(日) 20:00-21:30
初回は故スワミダヤーナンダジの講話ビデオ(20分)を見てみましょう。これは「思いやり」というテーマでアメリカのTEDで放送されたものです。ヴェーダーンタが明かす真実を日常の言葉で語られています。
『人は「全体の意味」を発見しなければなりません。』『「思いやり」というのは、あなた自身の本質が力強く現れたものだと発見するでしょう』
スワミジの力強い肉声を日本語訳付きで味わいましょう。スワミジのご紹介や新しいテキスト「Spiritual Heritage」についてもご紹介していきます。(今回のテキストはメールなどで配信となります)

10/4(日) 第1話「スピリチュアルな遺産とは何か?」
〇私たちはスピリチュアルという言葉に何か曖昧さを感じます。しかしこのインドのスピリチュアルな文化は、全人類の遺産で、生きるための知識体なのです。
〇自意識をもつことで足りてない自分に気づく私たちは、生まれながらに満足を求めています。私が満足であるために、全体宇宙とハーモニーである為の選択を練習しなければなりません。この理解からカルマヨーガが始まりますね。
〇人生で何が大切なのかが理解できる文化は人類普遍の宝物です。私たちが学ぶヨーガとは何かを、まずは全体像からとらえましょう。

10/11(日) 第2話「自己尊厳の発見」
〇自己満足のためには自己尊厳が必要です。自己尊厳には2つのレベルの満足があります。ある程度の自己尊厳がかなう「ある程度の満足」、そして自分自身をあがままに知ることからの「絶対の満足」があります。
〇私たちは、満足に生きるために成功の意味を正しく見る必要があります。これがスピリチュアルに見るということです。
〇私たちに現れてくる願望という能力は、恩恵なのです。願望は大切です。ところがその願望が自己尊厳を失わせる原因となるのはなぜなのでしょうか。

第3話「成功の意味を再定義する」
第4話「健全な考え方の発見」
第5話「与えられているものをよく見てみる」
第6話「神とは何か」…この後からダルマやカルマ、祈り瞑想などの話題やイーシュワラとの関わり方、人の情緒的な成長、ヨーガの生き方の話題へと進んでいきます。

テキストは全部で50話ほどあり長いのですが、まずは12月まで3ヶ月やってみたいと思います~私にとってもチャレンジなのです。
詳しいスケジュールや内容は、その都度ご連絡をだしながら進めていきます。時には復習したりゆっくり進みますので、途中でお休みがあっても大丈夫です。

ご興味ありましたらぜひメッセージでご連絡くださいね。ご質問やお問い合わせもいつでもどうぞ。
よろしくお願いします~[ほっとした顔]

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満足のために、頑張らない。 [ヨーガについての知識]

私たちは満足がないから、頑張ります。満足が足りないから、足りよう足りようとします。
それが仕事の成功だったり、結婚して幸せな家庭を持つことだったり、ハワイに行くことだったり、人それぞれです。

自分が満足できないから、他人の力を借りて満足しようともします。例えばFacebookなどで他人からたくさん承認されることで満足をえたくなるのですね。自分に満足がないので他人の力を借りるわけです。



満足には2種類あるとヨガの知識は教えます。
「ある程度の満足」と「絶対の満足」です。

仕事や何かの成功や他人からの承認を得ることの満足は、ある程度の満足です。
仕事の成功で満足を得ても家庭で不満だらけだったり、この分野ではブイブイ言わせて満足があっても他の分野やでは自身がなくて満足が得られなかったり。自分にも満足であり、周りの状況や世界にも全てに満足というのは、なかなかうまく叶いません。なので「ある程度の満足」なのです。

しかも自分の満足のために日々努力しても、思い通りの結果が返ってくるわけではありません。私は行い手ではあるけれども、行いの結果は自分の手の内にはないのです。なのにその「ある程度の満足」を成功の意味だと思って、あの手この手で計画を練って努力をします。あるいは思い通りの結果が得られないなら、最初から願望を持たなければ良いという勘違いを持ってしまうことも。

日々どんなに努力しても叶うかどうかわからない相対的なもので、自分の成功、つまり満足を得ようというのは難しいことなのです。でもほとんどの人は、それしか満足の方法がわからないので、その道を突き進んでいます。




「絶対の満足」というのは、そもそも自分は100%満足な存在だし、周りの人や世界に対しても100%満足で調和があるということです。そのためには、今までとは違った見方、世界観で自分を見直す必要があります。

私たちはすでにウン十年と生きて、自分とはこうなのだ!という見方、生き方、ある意味哲学を持って生きてるのです。簡単に見方を変えられるものではありません。

でも「絶対の満足」を得たいと思って人は探求し始めます。そのきっかけは、仕事である程度の成功を得た後のむなしさだったり、突然の不幸や事故などで究極の状況となったり、あるいは大変な病気で人生を見直す時だったり、アーサナヨガの後の心地よさにハマったり…人には様々な運ばれ方があります。

私は自分自身に満足で、周りの人にも環境にも状況にも満足であるためには、正しく「あるがままをあるがままに見る」ということを学びます。私たちはそれを知らないのです。それは今までの間違った見方を手放し、ただあるがままの真実を知る、見る、ということです。



それは努力で自分の考えを変えることでもなく、他人や状況やこの世界を変えることでもないのです。
ですから仕事を変えたり、願望を手放したり、パートナーを手放したり(笑)する必要もないのです。

常に移り変わる「ある程度の満足」のために、歯を食いしばって他人と駆け引きしたり、競争をする、そんな努力や頑張りは必要ないのです。「絶対の満足」を学ぶ時間は、知ることで自分にリラックスが増えるので、とても楽な生き方になります。コツコツ勉強時間を重ねる、その努力は必要ですけれども(笑)この学びは駆け引きや競争がないので楽です。なにより自分が自分でいられるのです。


自分の考えで主観的にみている世界を、あるがままにちょっと客観的な「見方」をもってみませんか?ヨガの学びは、最初は自分の固定観念やクセに気づいたり、とても小さな気づきです。やがてそれが時間をかけながら、偉大な視点、世界観となって、私たちに絶対の満足をもたらせてくれるのです。
それがシャンティの本当の意味です。

8月お盆過ぎから、ZOOMで講座を開催しますね。
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インドの文化を理解したい訳 [コラム]

インドから戻ってから約4か月が過ぎました。
私の場合は引っ越もあり、12年ぶりに専業主婦となりましたが、さらにコロナの影響も重なり、長い時間を自宅で家族と過ごすことができる、ある意味で人生で貴重な毎日でした。

勉強時間も増え、今回のインドでの体験が学びとつながり深まってきました。
私の引っ越しで、しばらくヴェーダーンタから離れてしまった方たちから、また何か(講座や勉強会)やらないの?とのお声もいただき、学んだことをまた少しずつ言葉で出していけたら嬉しいです。



インドblogにもちらっと載せましたが、インドといっても今では様々な文化が入り混じっています。
でも未だに脈々と残る文化と教えがあり、私はそれを受け取りたいと学んでいるのです。

なぜならそれは、何一つ矛盾のない世界観(宇宙観)を持っていて、それに基づいて人々の暮らしがありその奥に教えを持っているからです。この教えはなにもインド人のためのモノではなく、人類みんなのためのモノです。

それは文化という「形」と、教えという「中身」の両方がしっかりと繋がっている世界観です。
人生の生きる意味が、日々の暮らし方として、言葉として、態度として、お金の使い方として、現代もその「形」が残っているのです。

日本での暮らしは、七五三や成人式、結婚式、お葬式など、形があっても、その源となる教えを理解するのは難しいですね。世界のどこでも、それぞれの場所で「形」が残っていて、その「中身」である源の教えが整った知識として現代まで残っているのは、世界中でインドだけなのだそうです。



私たちは物資に豊かな国に生まれていながら、働くこと、生きることの意味が見えにくいものです。でもこのヨガといういっけん健康体操のような(笑) 瞑想といういっけん宗教チックな(笑)、そんな「形」がいま世界中で試されて、生きにくい現代の私たちに恩恵与えてくれているのは事実です。

単なる健康体操なら、他にもたくさんあります。でもヨガにはその「中身」として、私たちが知るべき人生の最終目的へと繋がっています。私たちはそれをスピリチュアルと呼びます。いっけん怪しい響きです。たしかにスピリチュアルという言葉に、宗教や哲学、自己啓発なんかも含まれますから。

でもヨガの「中身」である源の教えは、いわゆる今どきのスピリチュアルな種類の話ではありません。
インドの一部には、未だにその教えの伝統と方法論が知識として確立されていて、先生から生徒へと現代にも教えが繋がっているのです。ですから、教えと共に、毎日の暮らし方、食べ方、日々の祈りや儀式、季節の行事、暮らしの態度、仕事や結婚の意味、生きる目的までが矛盾なく繋がって、祖父母や両親から子供たちへと伝わっているのです。



むしろその地球上のその整った世界観「形」と「中身」を破壊してきたのが、いわゆる宗教という作られた組織なのです。たくさんの侵略でインドの人々もたくさん改宗させられたようです。
ヨガの源の知識はいわゆる宗教ではないので、伝統と伝える先生たちにも組織がありません。誰が一番偉い人だとか、お金をいくら払わないといけないとか、この修行をしないといけないとか、そんなものがないのです。(インドには怪しい教えがいっぱいありますから、気を付けてくださいね!)


教えと生きる目的が繋がっているので、人々は人生の最終ステージとしてこの教えだけを学ぶ生き方に入ることもできるのです。今でも自分の財産や私物を全て手放し、お金を稼ぐことなどの社会活動から離れて、学ぶことや教えることに没頭しても、それを人々が支えて教えを授かる文化がこの現代に存在しているのです。

2016年ヨガが世界無形文化遺産になったのは、これらの「形」と「中身」そしてその背景の全てが、今も残っているからです。日本人の私たちがその世界観を全て理解するのは容易なことではありません。でも知れば知るほどその見事さや美しさに魅了されてしまいます。「形」や「中身」を知れば知るほど、人生で叶えなければならないことが何かが見えてくるのです。それが本来のヨガの教え=知識なのです。(つまりヨガ哲学ではないのです)

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ガンジーの生まれた家にて







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成功の意味とは [ヨーガについての知識]

アーサナヨガの最後にシャバーサナでじっと横になる。

体と呼吸を完全に手放して、時間の感覚も忘れて、あるがままの自分に満足するひととき…とても心地よくて、自分が満たされた気分になります。

その心地よさは人を魅了して、ヨガが人生でとても大切なものになり、ヨガのインストラクターをお仕事にしたいという人もたくさんいます。

ヨガクラスは生徒さんにそんな時間を提供できる素晴らしいものですが、実際はヨガのお仕事で苦しんでいるインストラクターも多いのです。

 

心地よいシャバーサナは、自分の内側の調和があります。何かすごい物資を手に入れたわけでもないのに、自分が自分に満たされている、でもそれは一つの過ぎ去る体験です。

私たちはもっと日常の生活で満たされたいのです。人生で成功したいのです。自然にいろんな願望がわいてきます。それを叶えたいと思います。

この世界ではほかの人が自分よりも成功しているように見えて、自分もそれを手に入れようと努力します。物質的に、経済的に豊かな人、ポジティブな考えを持つ人、ある分野で少し目立つ憧れの人。

その願望を叶えるとある程度は満たされるかもしれません。今より少しはいいかもしれませんが、逆に得たものを失う不安や緊張が増えるかもしれないし、さらに高い次なる目標や願望が生まれてくるかもしれません。

せっかく手に入れても、友人を傷つけたり、自然を傷つけたり、健康や家族を失ったり…そんな状況を生み出すかもしれません。さらには、何かを失ってから、願望の矛先が変わるかもしれません。

願望が叶うかどうかは、努力の量にかかわらず自分の手の内にはありません。期待どおりになるか、それ以上の良い結果となるか、叶わないか、考えもしない結果となるか、このどれかです。

時には期待通りにならない時に、自分が自分にがっかりすることも多いのです。成功して自分が満足したいのに、逆に自分を残念な人に思えてしまうかもしれません。

でも人はそんな自分を人に見せたくないのです。ヨガのインストラクターならなおさらです。自分の満足、自己尊厳を保つために、笑顔で発信し努力します。成功とは他者からの承認や、社会の立場からの承認によって満たされたいのです。

   

だからと言って、夢や願望を手放せとか、執着するな、ポジティブに考えろ、ということがヨーガの教えではありません。

そもそも自分を満足させるために何か成功を求めることは、人間の勘違いなのです。どうなるのか先が見えないことで、満足したり、安心したり、自己尊厳を満たすのは無理なのです。

自分が何も手に入れずに、いま、このままで「満足」があるということ。シャバーサナの体験のように、自分が自分自身に満足しているとき、満足とあるがままの自分とが同じ意味になっています。

自分が完全に満足しているとき、この世界と調和しているということです。それは、自分の願望にむけての努力の量とは関係なく、今もすでにあるのです。その理解こそが本当の自己尊厳となります。



その真実を理解するためには、ある種の世界観の理解が必要です。その理解がヨーガの学びです。

理解によって、たとえ成功の結果を手に入れられなくてもある種の満足があります。願望や執着は手放さなくても、ヨーガの学びと理解によって自然と手放されるときが来るかもしれません。

日常生活でその理解を深めていくのがカルマヨーガの生き方。生き方がカルマヨーガになるとき、成功の意味が変わってきます。ヨーガの生き方で、自分自身が理解によって成熟していくことが、「人生の成功」へと変化していくのです。

もちろん世捨て人になる必要はありません。カルマヨーガに仕事も家庭も必要です。環境や状況は何も変える必要はなく、知識の理解によって、自分自身が満足の意味となってきます。

これ以上の完全な満足が他にあるでしょうか?
自分が完全に満足している時、この世界との調和があります。この世界に問題はないのです。

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ドワラカにて。クリシュナテンプルの近くにある水辺。

※このコラムは私が長い時間学んできたヨーガの知識を、自分の言葉でまとめる練習をしています~hiromi

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インドに行ってきました-05 [インド]

アシュラムでは生活は毎朝6時のプージャから一日が始まります。
祭壇は毎日カラフルにコーディネイトされてとても華やかでした。

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スワミニは車で出かけポルバンダルの街中でヴェーダーンタクラスをしたり、曜日によってはスカイプでクラスをしている声がアシュラムのお部屋からも聞こえました。
またスラム街の子供たちに教育を与えたり支援する活動などもなさっていると、私の先生チェータナーナンダジから教えてもらいました。

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私たち日本の生徒は、滞在中に10日間ダッドヴァボーダの聖典クラスをチェータナーナンダジから学びました。私はすでに日本で何度か受けているクラスですが、インドのアシュラムで学ぶとまた違った味わいがありました。
アシュラムでの生活は、日々の自分の役割や立場から解放されて、慌ただしさや生きることへ無意識のプレッシャーから解き放たれますね。その解放感は、日本に家族がいることをたまに忘れてしまうほどです(笑) 

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滞在中にはイベントが3つありました。簡単にご紹介します。

まず一つ目、マハーシヴァラートリー。年に何度かあるなかでこの日は一年でもっとも吉兆なシヴァラートリー。夜にたくさんの住民が親子でアシュラムのギリ(小さな丘)に集まり、マイクで盛大にスワミがマントラを唱え、人々は順番にシヴァリンガムにギーをかけて、明け方までシヴァ神に祈りをささげて過ごしました。

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ヴェーダーンタを勉強する生徒とっても、このシヴァラートリーは吉兆で大切なイベントだと聞いていたのでインド到着して最初のイベントを楽しみにしていたのです。しかし私は渡印の直前に引っ越しをしていて、インドに着いても疲れが取れず…早々お部屋で寝てしまいました(笑)

二つ目は、日本の生徒がインドの伝統的な結婚式をあげました。
午前中は新郎と新婦を牛車でゆっくり迎えに行くところから始まり、昼食後に伝統的な手順で結婚の儀式を、夕食後にはダンスパーティー。地元のテレビ局も取材に来ての大イベントでした。

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インドで結婚式は家族と家族のつながりですし、夫婦でともに人生のゴール目指して成熟していくためのステップ。そのため様々な儀式を繰り返しながら、時間をかけて進む結婚式でした。

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3つ目は、ホーリーというお祭り。
カラフルな粉を掛け合うお祭りなので、インスタ映えするとして観光地では若者に人気のようです。ポルバンダルの街では、ます前日の夜にあちこちで焚火がたかれていました。
焚火の周りを裸足で4週回りました。厄払いです。火の粉が飛んでとても熱いです。

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ご近所の方たちが、その周りにお供えもしていました。
ご家庭でも日ごろからプージャをしてるのでしょうね。なんだか美しい光景でした。

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この日はスワミニのヴェーダーンタの生徒さんのお宅2軒でチャイなどをごちそうになりました。
ポルバンダルの海の近くに大きなお家がたくさん並んでいて、高級住宅街のようですが、やはり牛は自由に歩き回っていました。
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両家とも1階に大きなゲストルームがあり、そこでチャイなどをいただきました。実はもう少しお家の中が見たくて2軒ともおトイレを借りに家の奥までお邪魔させてもらっちゃいました。リビングルームやキッチンもとても素敵でしたよ。

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インドでは突然のお客様も歓迎する文化なのだそうです。日本でいうと夕飯時なのですが、みなさんあたたかくお迎えしてくださいました。観光旅行では味わえない体験でした。

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その他に、滞在中はポルバンダル市内のガンジーの生まれた家と、ポルバンダルから車で90分ほど北にあるクリシュナ信仰のドワラカへ日帰り巡礼にも行きました。

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以上、私たちが日本で楽しむヨーガが、どんな文化の中から生まれてきたのか、その一端を楽しんでいただけたら嬉しいです。ヴェーダの文化を知ることは、やがてヨガ哲学を超えた本来の知識の理解を深めることができます。
写真はどれも日本人のお顔があまり写ってないものを選びましたが…写ってる方ごめんなさいね。
最後に、私のお気に入りのこちらの写真を。アシュラム滞在中に毎日おいしいお食事を作ってくださったマダム。プロの料理人なのだそうです。どおこの素敵な笑顔!間違いなく美味しいお料理が出てきそうでしょ♡

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最後までご覧くださりありがとうございました~HIROMI
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インドに行ってきました-04 [インド]

3週間の滞在中、アシュラムの近所の3つのお宅から、夕飯に招いていただきました。
毎回スワミニ、スワミジと日本人10人ほどで伺いました。

普段からアシュラムにはこのご近所の農家さんがよく来ていて、野菜やミルクなど食材の提供や、食事作りのお手伝い、またティータイムにはポットにチャイを入れて届けてくださったりして、私たちの長期の滞在を支えてくださいました。

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みなさんいつも素敵な笑顔で接してくれますが、ほとんど言葉は通じないのです。学校に行ける子ですと英単語が少しだけ通じたりするのですが、年配の方たちはみなさん全く英語が通じないのですよ。グジャラート語をスワミニが英語に訳し、さらにスワミジが日本語にしてくだいました。

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それぞれご家庭によっては、畑まで案内していただいたり、家の中の様子を見せてもらったりしました。暮らしはとても質素で、煮炊きができる簡素なキッチンと寝室があるくらいですが、祭壇があり、家のあちこちに神さまを美しく飾ってあったりしました。

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最初この質素な暮らしぶりに、私は少し驚きましたが、皆さんと接していると物資がなくてもこんなに豊かな気持ちで暮らせるんだなあと思えてきました。毎日この当たり前にあり続ける世界を豊かに感じるのでしょう。暗闇に太陽が昇り、すべてを明るく照らしあたため、この大地から植物が育ち、その実りが私たちの体と心を満たしています。

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風が吹き、鳥が鳴き、季節がめぐり、嵐もくる。この世界はすべて神が現れたものなのだと、それを肌身で直に感じているから、当然のことのようにいつも神を想い、運ばれていることに感謝し、出会った私たちにもおしみなく与えるということをしてくださいます。

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どのご家庭も、スワミが家にくるのはとても吉兆なことなのだそうで嬉しそうでした。とくにお年頃の娘さんたちとスワミニのお話は楽しそうです。グジャラート語なので内容はわかりませんけれども。でも彼女たちの表情やしぐさでスワミニをとても尊敬している様子がわかりました。

そう、お年頃の娘さんも、結婚相手は自分で決められないのだそうです。結婚は家同士の結びつきでもあるので、この辺のご家庭は今でも父親が相手を決めるのだそうです。



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インドに行ってきました-03 [インド]

ポルバンダルからリキシャで30分ほどの郊外に、3週間ずっと滞在させていただいたアシュラムがあります。

アシュラムは広い敷地の中に建っていて、同じ敷地内に宿泊棟や屋根付きの野外食堂がありました。たくさんの鳥の声を聞きながらお外での食事はとても気持ちがよいです。時々リスも遊びにくるような静かなところです。

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敷地の真ん中はギリ(小さな丘)があります。アシュラム周辺は、農家さんや羊飼いが住んでいる広い平野なので、ギリに登ると360℃ぐるっと周りを見渡せ、日の出や日の入りを眺められます。大きな空には、近くの水場にいる鶴のような大きい渡り鳥が飛び交っていて、時間の流れがとてもゆっくり感じられます。

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こちらのアシュラムにはスワミニ(女性のスワミ)がお二人いらっしゃいます。私の先生チェータナーナンダジとも仲が良く、日本にいらしたことがあるので写真では拝見しておりました。今回初めてお会いできたのですが、お二人とも明るくパワフルな女性でした。食事の時などはいつも楽しそうなお二人の笑い声が広がります。とくにニガマナンダジのお声は美しく響いていて、それがとっても心地よかったのを今でも覚えています。

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インドでオレンジ色の布を着ている方(スワミ)は、簡単に言うと、正式な儀式を行って家庭から離れ全ての社会活動からも外れて、所有を放棄して生きる段階に入った方たちです。長く知識を学んでいてすでに教えているスワミもいますが、これからさらに知識を深めていくという段階の人もまだ含まれています。いずれにしても、この生き方に入った人たちを敬い人々が支える社会が、いまもインドには残っているのです。

古代からヨーガの源ヴェーダの文化では、”人生の成功”とは、この知識を深めて人が成熟していくこと。いつの時代もスワミたちから学んだり、スワミたちと接することは、とても吉兆な価値のあることです。
次の写真では、ご近所の農家の子供が、スワミの足元に手をついて敬意を表すご挨拶をしています。落とし物ひろっているのではないですよ(笑)

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このヴェーダの世界観を大切に生きる人々は、その世界観が親から子へ受け継がれていきます。スワミたちも人々や社会に守られながら、アシュラムを運営していきます。人々に支えれたアシュラムは、逆に人々を守ります。子供や貧しい人々を支え、学校を作って教育を与え、人の生き方や成長を導きます。

さらにアシュラムが大きくなると、世界中から学びたい人々が集まってきて街に雇用を生みだし、アシュラムを中心に周りの環境が動きだします。助ける人、助けられる人、そのみごとな循環が自然に生まれます。やがてアシュラム全体がひとつの街のように大きくなることもあるそうです。

この現代になっても、インドにはまだアシュラムが運営する学校がとても多いそうです。
そしてこの現代に、お金儲けなしに自然とコミュニティが育ち人々が学び成熟していくなんて、インドにいると人間が生きる原点に来たような気持ちになります。


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インドに行ってきました-02 [インド]

成田からムンバイまで直行便でいき、翌日にポルバンダル行きに乗り換えました。

同行者は同じ関東ヨギーの先生 サユリさん。
彼女は英語堪能なので、とっても助かりました。

ムンバイは国際空港でなので、なかなかの都会の雰囲気。
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ムンバイ国際空港内のホテルに一泊したとき、お暇そうなレストランのウェイターさんが私たちのテーブルに来てぐいぐい聞いてきました。

「ポルバンダルへは何をしに行くの?」と。有名な観光地ではないし、日本人がなぜ?という感じです。「ヴェーダーンタの勉強だよ」といっても、彼はヴェーダーンタの言葉を知らない。

「ヨーガの勉強だよ」というと、「ああヨーガだね、僕もたまに体を動かすよ~」という感じ。(ちなみに私のリスニング力は怪しいのですが…いつもサユリさんが通訳してくださいます)

ヨーガに対する認識は、都会の若いインド人も日本人とほぼ変わらない印象でした。 

インドでも、身体を動かすヨーがや瞑想を行ったり、様々な日々の儀式や信仰を行っていても、その源の知識(ヴェーダーンタ)の存在を理解している人は少ないということでしょう。

実はこの世界に、たとえばある種の文化や信仰があったとしても、その起源までさかのぼって古代の言葉で源の知識を解明できる伝統が今この現代まで続いているものは、地球上にほとんど残っていないそうです。

でもヨーガは違うのです。その源の知識が、紀元前から続く言葉でグル(先生)から生徒へ受け継がれていて、それが日々の習慣や儀式、生き方や文化となり現代まで残っている、それがインドなのですね。

しかしこのウェイターさんのように、インドでもほとんどの人がその源の知識を知らないし(というか普通の人は興味がないんですよね笑)日本のようにアーサナヨガも健康のためにやるものなのでしょうね。
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ポルバンダル空港からはリキシャで、町はずれのアシュラムまで移動しました。滞在中も町中にお買い物に出るときなど、すべてアシュラムでお願いしている運転手さんのリキシャを利用しました。

なので、なんの心配もなく笑、いつもリラックスして移動を楽しめました。私はこのリキシャから街並みをながめる時間が、とても楽しいのです。インドの街は活気があったり、混沌としていたり、埃や臭いがひどかったり。人々はあちこちで集まってお喋りしていて、時間の流れがゆったりしています。

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リキシャやオートバイ、自動車からトラックまで、クラクション鳴らしながら常に合図を出し合って、とてもぎやかに行きかう光景。そんな騒々しい道端で、牛や犬がのんびりしています。

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動物が動物らしく振舞うことが許されている世界。これって当たり前の事なんですけれど、日本にいると忘れていたような気がします。牛に限ってはインドでは神様ですから特別な存在なのですけどね。

車が激しく行き交う、車スレスレの道端で、犬が両手両足を投げ出してずっと寝ている姿を見ていると、私は「いやいやそれ、リラックスしすぎでしょうが…」と思わず心の中で突っ込んでいたのですが、しばらくすると逆に私たち人間が犬たちに問われているような気がしてきました。。。「オマエら、こーんなにリラックスしたこと、あるのかーい?」ってね。

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