ヨーがとはなにか [ヨーガについての知識]
日本で、世界で、YOGAという言葉が使われていますが、このヨーガとは何なのか?と聞かれると説明が難しいものです。
一般的にヨーガといえば、体を動かす健康体操のイメージですが、もともとは体を動かすことを意味する言葉ではありません。
ヨーガの語源「ユジュ」とは繋がるという意味だから「心と体を繋げることがヨーガですよ」というのはヨガインストラクターがよく言うお約束の言葉ですよね(笑)
正しくは「ユジュ」は繋がると手放すという2つの意味があります。自分自身とこの世界について、あるがままに見ることができるように、過去の見方を手放して物事の本質をみること、真実と繋がるという意味なのです。つまりこの繋がるとは無知が落ちるということです。
この地球上の各地には、大昔から土着の信仰があり、人間は祈りや儀式をしながら生きてきました。
経済の発達がない時代、人間は地球や生き物から食べ物をもらい、その感謝をささげながら生きる世界観をもっていました。
そこには私たちを生かしてくれている存在、それは大地や水や太陽であり、地球を含む全体宇宙であり、何か私たちを生かしてくれている源に対する想いがあります。祈りや儀式はその想いが現れた形で、人間にとっては当たり前に、自然に行われていたのだと思います。
その日々の祈りや儀式、その源に対する考え方、言葉、態度、生き方などを含む「ヴェーダ」という知識体が人から人へ受け渡され、その世界観を今も受け継ぎながら生きている人々が、今もインドの一部で暮らしているのです。
その詳細を知らない現代の私たちは、彼らを勝手に「ヒンドゥー」と呼びますが、実際それは宗教ではありません。宗教のような創始者も組織もないものなのです。
文化や習慣が人から人へ手渡されるように、その「ヴェーダ」を含む生き方も親から子へ、先生から生徒へと途切れることなく手渡されてきたものです。
この知識体「ヴェーダ」が明かす世界観の理解の中で生きながら、自分の成熟を喜びとしながら探求する生き方をヨーガと言います。
そこから瞑想や呼吸法、ヨーガ学派、ヨーガ哲学など多種様々な教えが生まれています。
ではそのヨーガの生き方とは何でしょうか。はっきりとゴールが示されています。
それは、私に何かを付け足して安心や幸せを得ることがゴールなのではなく、(もちろんそれがあってもOKですので手放す必要はないのです)、あるがままの世界観を知的に理解することで、そもそも「私こそが安心で幸せなのだ」というゴールを知る生き方なのです。
実際、私たちはそのゴールに気づいていないだけで、本当は誰でもそのゴールに向かっています。それは自分自身こそが調和であり、自分とこの世界の全てとの調和を知ることなのです。
この探求のゴールを知って、その知識を学びながら日常生活で成熟していく生き方がヨーガなのです。
ヨーガを生きるためには、ある資質が必要です。
その資質とは、ある程度の健康的な体があって、落ち着きのある心が準備されているということ。
ですから、身体を動かすアーサナヨーガや、呼吸法、瞑想法は、すべてヨーガという生き方を始めるための大切な準備となります。
現代の私たちはその体を動かすアーサナヨーガを、YOGA(ヨーガ)と呼んでいるのです。
アーサナヨーガでリラックスして、ほっと自分に落ち着つく体験は、自分の本質に気づく基盤となる大切な体験なのです。
私たちは、誰もが自分自身にリラックスしたいのです。それを目指して生きています。
一般的にヨーガといえば、体を動かす健康体操のイメージですが、もともとは体を動かすことを意味する言葉ではありません。
ヨーガの語源「ユジュ」とは繋がるという意味だから「心と体を繋げることがヨーガですよ」というのはヨガインストラクターがよく言うお約束の言葉ですよね(笑)
正しくは「ユジュ」は繋がると手放すという2つの意味があります。自分自身とこの世界について、あるがままに見ることができるように、過去の見方を手放して物事の本質をみること、真実と繋がるという意味なのです。つまりこの繋がるとは無知が落ちるということです。
この地球上の各地には、大昔から土着の信仰があり、人間は祈りや儀式をしながら生きてきました。
経済の発達がない時代、人間は地球や生き物から食べ物をもらい、その感謝をささげながら生きる世界観をもっていました。
そこには私たちを生かしてくれている存在、それは大地や水や太陽であり、地球を含む全体宇宙であり、何か私たちを生かしてくれている源に対する想いがあります。祈りや儀式はその想いが現れた形で、人間にとっては当たり前に、自然に行われていたのだと思います。
その日々の祈りや儀式、その源に対する考え方、言葉、態度、生き方などを含む「ヴェーダ」という知識体が人から人へ受け渡され、その世界観を今も受け継ぎながら生きている人々が、今もインドの一部で暮らしているのです。
その詳細を知らない現代の私たちは、彼らを勝手に「ヒンドゥー」と呼びますが、実際それは宗教ではありません。宗教のような創始者も組織もないものなのです。
文化や習慣が人から人へ手渡されるように、その「ヴェーダ」を含む生き方も親から子へ、先生から生徒へと途切れることなく手渡されてきたものです。
この知識体「ヴェーダ」が明かす世界観の理解の中で生きながら、自分の成熟を喜びとしながら探求する生き方をヨーガと言います。
そこから瞑想や呼吸法、ヨーガ学派、ヨーガ哲学など多種様々な教えが生まれています。
ではそのヨーガの生き方とは何でしょうか。はっきりとゴールが示されています。
それは、私に何かを付け足して安心や幸せを得ることがゴールなのではなく、(もちろんそれがあってもOKですので手放す必要はないのです)、あるがままの世界観を知的に理解することで、そもそも「私こそが安心で幸せなのだ」というゴールを知る生き方なのです。
実際、私たちはそのゴールに気づいていないだけで、本当は誰でもそのゴールに向かっています。それは自分自身こそが調和であり、自分とこの世界の全てとの調和を知ることなのです。
この探求のゴールを知って、その知識を学びながら日常生活で成熟していく生き方がヨーガなのです。
ヨーガを生きるためには、ある資質が必要です。
その資質とは、ある程度の健康的な体があって、落ち着きのある心が準備されているということ。
ですから、身体を動かすアーサナヨーガや、呼吸法、瞑想法は、すべてヨーガという生き方を始めるための大切な準備となります。
現代の私たちはその体を動かすアーサナヨーガを、YOGA(ヨーガ)と呼んでいるのです。
アーサナヨーガでリラックスして、ほっと自分に落ち着つく体験は、自分の本質に気づく基盤となる大切な体験なのです。
私たちは、誰もが自分自身にリラックスしたいのです。それを目指して生きています。
2016-06-08 22:26
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0