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家庭でお肉を食べなくなりました。 [ヨーガについての知識]

お肉を食べなくなって1年以上となりました。
お肉を食べない理由を、少し書いてみようと思いました。

ベジになるというのは、人によって様々な理由があります。
健康のため、環境への影響だったり、ヴィーガンという言葉も広まっていますね。

先日、若い方の「やっぱりヴィーガンをやめました」なんて動画も見かけました(笑)
ある程度の知識と理解がないと、ファッション感覚では続かないのだと思います。

そもそも日本では菜食の環境が整ってないので、気軽にというわけにはいきませんからね。
家族に食事を作る主婦にとっても、これはなかなか難しい問題なのです。



ヴィーガンという生き方は、動物性のものを食べない、動物由来のものを買わないという生き方です。
お肉を食べないことが地球環境のために非常に良い影響があることも、最近ちまたで知られています。

これらも理由の一つですが、私にとって一番の理由は「自分に嘘をつきたくない」からです。動物が好きなのに、動物を食べるということに、多少の抵抗感を持ちつつ長い間違和感を無視して食べてきました。

ドキュメンタリー映画が好きで、食肉ビジネスの現状を暴いたドキュメンタリーも非常に興味がありました。実際に家畜を処理する映像は、直視することができないものです。悲しいです。

動物の命に対しての思いと、さらにはその直視できないようなことをお仕事としている人間がいるという事実も悲しいです。

自分が決してやりたくない事を、見知らぬ人にやらせて、涼しい顔でパック詰めされたお肉を買うことも違和感がありました。自分の中に、なにか摩擦が起こるのです。

私たちはサーマンニャダルマといって、調和(ダルマ)と不調和(アダルマ)の普遍のセンスをもっています。普遍のセンス。国や人種を超えて誰にでもあるものです。

ですから共感する感覚があるのです。自分が嫌なこと痛むことは、他の人にもさせたくないのです。
それに気づいている自分を無視したり、噓をつきたくないのです。

自分に嘘をついたら、心がザワザワすることは子供でも知っています。自分が自分に落ち着けないのです。みんな自分に落ち着きたいです。だれでも自分と世界との調和を保ち心地よくいたいのです。

もちろん、人は気づかない所で不用意に周りを傷つけてしまうことはあるので、全ては避けられない。でもまずは自分自身の中に起こる摩擦に気づいたら、ダルマを選んだ行いをしていきたいのです。

犬や猫が愛おしいのと同じように、豚や牛も個性ある命です。私たちは他に食べるものがたくさんあるのですから、選べるなら選んで食べるのが心地良いのです。ただそれだけのことです。

ダルマを丁寧に選びたい。ヨーガを学ぶと、その当たり前の価値を大切にす「価値の価値」に気づきます。人生の成功とは、自分自身の調和があってこそ存在するものです。

そして実際に、キッチンや冷蔵庫に動物の死体がないというのは大変心地よいものなのです。



昨年、3週間インドで過ごした時は、もちろんベジのお食事でした。その時、このままベジの食事を続けたいと、インドから家族に思わず電話でお願いしてみたら、なんとOKをもらえて今に至りました。

主人や娘(大学生)は、外で自由にお肉を食べていますが、私が作る毎日のお料理にはお肉を使いません。家族と外食の時、ベジ食がないとき私はお魚を選びます。できるだけ家族とも無駄な摩擦がないように工夫しています。

日常で革やウールの製品もまだ持っていますし、卵製品も食べています。いきなりヴィーガンになるのは難しいので、ゆっくりです。ホントは白米も玄米に変えたいのですが、これは家族の同意が難しそう。

数年前にもベジにしようと試みた時は、家族の反対があり断念しました。主人は未だに唐揚げLoveです(笑) そんな中でも、ゆっくりと今の状況に至ったこと、ここまで運ばれたことを心から感謝しています。



☆食の問題を描いた「世界を変えたくて僕を変えた」という素敵な漫画本があります。漫画以外にもベジについての深いお話や情報、世界のベジ偉人の言葉なども紹介されていてとても興味深い内容なのですが、Amazonでは買えないようです。読んでみたい方がいらっしゃいましたら、お貸しできますので遠慮なくご連絡くださいませ~。

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こちらはインド滞在中、アシュラムのご近所農家さん宅でいただいたお食事です。
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