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学べるという幸せ [思うこと]

早いもので、もう2月でした。1月は色々と考えてしまいました

人生でいろんなことが起こって、ちょっと文句を言いたくなったり、嫌な気持ちになることもありますが(笑) 長い人生を振り返ると、やはりいろんな過去の出来事には意味があって私たちに学びや気づきをもたらしてくれます。

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ヨガの世界観では、私たちの人生はプンニャ(善い行いの結果)とパーパ(悪い行いの結果)を積み重ねて、過去の行いの結果から今の人生があると考えます。

もし過去の行いから人生が全て決まっていると考えると、少し残念な気持ちがしますが、人が全て平等の環境、状況で生まれてこない事を考えると、あながち嘘ではない気もします。

ただ人間として生まれてきた以上、どう生きるか行い(選択)ができるので、過去の行いの結果を中和しながら生き方を切り開いていくことができるそうです。



私たちが生かされているということは、この人生で果たさなければならない役割のようなものがあるのだと思います。

そして生きるためのお金を必死で稼がなければならない時もありますし、子育てや介護に忙しい時期があったり。

新たにやりたい事があっても、今の状況をこなすだけで精一杯という現実が立ちはだかっている時もあります。

いま子供も大きくなって時間的余裕もあるので、やりたいことをやって生きる時間があるのは本当に有難いです。

これはもしかすると勉強をするという流れなのかなと、うすうす感じてました。

ヨガの勉強でバガヴァットギーターの理解を深めるために、サンスクリット語の文法を学ぶことはとても大切です。

私は恥ずかしいことに、過去に2回もサンスクリット語の勉強を挫折していました。

その時はまだ子育で時間的な余裕もなかったのですが、今はそんな障害が全くない!「3度目の正直」というわけで再々チャレンジをしようと決めました。



4月からヴェーダンタの勉強をさらに深める2年コースに参加します。

人は考えが知らないことを目では見ません。医者は医学の知識があるので、その外見的な症状から病気を見極めます。

目の前で人が倒れてしまうとオロオロしてしまいますが、医学の知識があれば少しリラックスして対応できるのだと。

山で遭難しても山の知識が豊富なほどリラックスが生まれるとも習いました。遭難した事ないので実際はわかりませんが(笑)

人生においても同じで、知っている以上のことを、知ったり見たりはできないようです。経験すること学ぶことは、その人生を豊かにしリラックスを与えてれるのだそうです。

言葉を学ぶというのは、その文化や生き方を学ぶことができますが、ヨガの知識はこの世界の哲学や宗教の源の知識をまなびます。

私とは何か、この世界と何か。私たちは今の時代の人間としての価値観の中でいきているけれども、人間だって自然や動物、植物と同じで自由で満たされた存在なのだと思います。

それを知るのが「パラマ・プルシャ・アルタ」人の求めている究極のゴール。

地球上に存在していた古いヨガの知識が、混沌としたこの現代にアーサナヨガとして広く受け入れられているのも、それを求めているから。

リラックスして生きるための知識を求めているからだと思います。

去年の12月、ヨガはユネスコ無形文化遺産となりました。時間がある今、しっかり学んでおこうと思います。


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