成功の意味とは [ヨーガについての知識]
アーサナヨガの最後にシャバーサナでじっと横になる。
体と呼吸を完全に手放して、時間の感覚も忘れて、あるがままの自分に満足するひととき…とても心地よくて、自分が満たされた気分になります。
その心地よさは人を魅了して、ヨガが人生でとても大切なものになり、ヨガのインストラクターをお仕事にしたいという人もたくさんいます。
ヨガクラスは生徒さんにそんな時間を提供できる素晴らしいものですが、実際はヨガのお仕事で苦しんでいるインストラクターも多いのです。
心地よいシャバーサナは、自分の内側の調和があります。何かすごい物資を手に入れたわけでもないのに、自分が自分に満たされている、でもそれは一つの過ぎ去る体験です。
私たちはもっと日常の生活で満たされたいのです。人生で成功したいのです。自然にいろんな願望がわいてきます。それを叶えたいと思います。
この世界ではほかの人が自分よりも成功しているように見えて、自分もそれを手に入れようと努力します。物質的に、経済的に豊かな人、ポジティブな考えを持つ人、ある分野で少し目立つ憧れの人。
その願望を叶えるとある程度は満たされるかもしれません。今より少しはいいかもしれませんが、逆に得たものを失う不安や緊張が増えるかもしれないし、さらに高い次なる目標や願望が生まれてくるかもしれません。
せっかく手に入れても、友人を傷つけたり、自然を傷つけたり、健康や家族を失ったり…そんな状況を生み出すかもしれません。さらには、何かを失ってから、願望の矛先が変わるかもしれません。
願望が叶うかどうかは、努力の量にかかわらず自分の手の内にはありません。期待どおりになるか、それ以上の良い結果となるか、叶わないか、考えもしない結果となるか、このどれかです。
時には期待通りにならない時に、自分が自分にがっかりすることも多いのです。成功して自分が満足したいのに、逆に自分を残念な人に思えてしまうかもしれません。
でも人はそんな自分を人に見せたくないのです。ヨガのインストラクターならなおさらです。自分の満足、自己尊厳を保つために、笑顔で発信し努力します。成功とは他者からの承認や、社会の立場からの承認によって満たされたいのです。
だからと言って、夢や願望を手放せとか、執着するな、ポジティブに考えろ、ということがヨーガの教えではありません。
そもそも自分を満足させるために何か成功を求めることは、人間の勘違いなのです。どうなるのか先が見えないことで、満足したり、安心したり、自己尊厳を満たすのは無理なのです。
自分が何も手に入れずに、いま、このままで「満足」があるということ。シャバーサナの体験のように、自分が自分自身に満足しているとき、満足とあるがままの自分とが同じ意味になっています。
自分が完全に満足しているとき、この世界と調和しているということです。それは、自分の願望にむけての努力の量とは関係なく、今もすでにあるのです。その理解こそが本当の自己尊厳となります。
その真実を理解するためには、ある種の世界観の理解が必要です。その理解がヨーガの学びです。
理解によって、たとえ成功の結果を手に入れられなくてもある種の満足があります。願望や執着は手放さなくても、ヨーガの学びと理解によって自然と手放されるときが来るかもしれません。
日常生活でその理解を深めていくのがカルマヨーガの生き方。生き方がカルマヨーガになるとき、成功の意味が変わってきます。ヨーガの生き方で、自分自身が理解によって成熟していくことが、「人生の成功」へと変化していくのです。
もちろん世捨て人になる必要はありません。カルマヨーガに仕事も家庭も必要です。環境や状況は何も変える必要はなく、知識の理解によって、自分自身が満足の意味となってきます。
これ以上の完全な満足が他にあるでしょうか?
自分が完全に満足している時、この世界との調和があります。この世界に問題はないのです。
ドワラカにて。クリシュナテンプルの近くにある水辺。
※このコラムは私が長い時間学んできたヨーガの知識を、自分の言葉でまとめる練習をしています~hiromi
体と呼吸を完全に手放して、時間の感覚も忘れて、あるがままの自分に満足するひととき…とても心地よくて、自分が満たされた気分になります。
その心地よさは人を魅了して、ヨガが人生でとても大切なものになり、ヨガのインストラクターをお仕事にしたいという人もたくさんいます。
ヨガクラスは生徒さんにそんな時間を提供できる素晴らしいものですが、実際はヨガのお仕事で苦しんでいるインストラクターも多いのです。
心地よいシャバーサナは、自分の内側の調和があります。何かすごい物資を手に入れたわけでもないのに、自分が自分に満たされている、でもそれは一つの過ぎ去る体験です。
私たちはもっと日常の生活で満たされたいのです。人生で成功したいのです。自然にいろんな願望がわいてきます。それを叶えたいと思います。
この世界ではほかの人が自分よりも成功しているように見えて、自分もそれを手に入れようと努力します。物質的に、経済的に豊かな人、ポジティブな考えを持つ人、ある分野で少し目立つ憧れの人。
その願望を叶えるとある程度は満たされるかもしれません。今より少しはいいかもしれませんが、逆に得たものを失う不安や緊張が増えるかもしれないし、さらに高い次なる目標や願望が生まれてくるかもしれません。
せっかく手に入れても、友人を傷つけたり、自然を傷つけたり、健康や家族を失ったり…そんな状況を生み出すかもしれません。さらには、何かを失ってから、願望の矛先が変わるかもしれません。
願望が叶うかどうかは、努力の量にかかわらず自分の手の内にはありません。期待どおりになるか、それ以上の良い結果となるか、叶わないか、考えもしない結果となるか、このどれかです。
時には期待通りにならない時に、自分が自分にがっかりすることも多いのです。成功して自分が満足したいのに、逆に自分を残念な人に思えてしまうかもしれません。
でも人はそんな自分を人に見せたくないのです。ヨガのインストラクターならなおさらです。自分の満足、自己尊厳を保つために、笑顔で発信し努力します。成功とは他者からの承認や、社会の立場からの承認によって満たされたいのです。
だからと言って、夢や願望を手放せとか、執着するな、ポジティブに考えろ、ということがヨーガの教えではありません。
そもそも自分を満足させるために何か成功を求めることは、人間の勘違いなのです。どうなるのか先が見えないことで、満足したり、安心したり、自己尊厳を満たすのは無理なのです。
自分が何も手に入れずに、いま、このままで「満足」があるということ。シャバーサナの体験のように、自分が自分自身に満足しているとき、満足とあるがままの自分とが同じ意味になっています。
自分が完全に満足しているとき、この世界と調和しているということです。それは、自分の願望にむけての努力の量とは関係なく、今もすでにあるのです。その理解こそが本当の自己尊厳となります。
その真実を理解するためには、ある種の世界観の理解が必要です。その理解がヨーガの学びです。
理解によって、たとえ成功の結果を手に入れられなくてもある種の満足があります。願望や執着は手放さなくても、ヨーガの学びと理解によって自然と手放されるときが来るかもしれません。
日常生活でその理解を深めていくのがカルマヨーガの生き方。生き方がカルマヨーガになるとき、成功の意味が変わってきます。ヨーガの生き方で、自分自身が理解によって成熟していくことが、「人生の成功」へと変化していくのです。
もちろん世捨て人になる必要はありません。カルマヨーガに仕事も家庭も必要です。環境や状況は何も変える必要はなく、知識の理解によって、自分自身が満足の意味となってきます。
これ以上の完全な満足が他にあるでしょうか?
自分が完全に満足している時、この世界との調和があります。この世界に問題はないのです。
ドワラカにて。クリシュナテンプルの近くにある水辺。
※このコラムは私が長い時間学んできたヨーガの知識を、自分の言葉でまとめる練習をしています~hiromi