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ヨガを伝えるというお仕事 [日々のいろいろ]

どんなお仕事でも悩みはあるものですが、私も10年ほどヨガをお伝えしながら、「何を伝えたいのか」を模索してきました。
ヨガは体だけでなく確かに心にも響くけれど、それを言葉で伝えるのはとても難しいからです。

ヨガで変わっていく自分や、ヨガで見えてくる世界観が確かにあるのに、それを伝えると、時に自己啓発的な言葉になっているような感じがして自分が嫌になる事もありました。だってヨガで伝えるのは「あたな変わっていきましょう」ではなく「あるがままの素晴らさに気づきましょう」だから。そこに揺るぎない真実があるからです。だから自己啓発的な「あなた変わりましょう」や、宗教的な「あなたを救います、信じなさい」や、哲学的な「こう考え生きましょう」とは全く違うのです。そもそも私たちは変わることも救われる必要もないのです。

「人がどんな存在なのか」「何を求めて生きているのか」この答えは、何かスピリチュアルな話題のように聞こえてしまいます。それこそが、人が本当にそれを知らないで生きているという事実です。
それを知りつくすことを1番大切に生きるヨガという生き方(知識)が紀元前からあるのです。私たちは人生で起こる様々な体験を通していつも学んでいます。そこにこのヨガの世界観が明確に見えてくると、どんなお仕事も、どんな出会いも、どんな体験も、起こっては過ぎていくという甲乙つけ難いものとなります。そして自分が存在する事と生きる意味が真実として繋がっていくのです。

座学でこのヨガの世界観をお伝えすると、嬉しそうな笑顔の方やハッとなさっている方、本当に反応や感想は様々です。先日も座学の参加者からメッセージを頂きました。
『飲み物のように、言葉がすとんと入ってきて、求めていた考え方ってここにあったんだなぁと、心地よい空間でした。ヨガを学び始めてから、今まで自分の学んできたものが全てめぐりめぐって繋がり、ひとまとまりになっていく感覚が心地よく、ヨガをどんどん深めたくなっていきます。』

こんな言葉を頂けると、ヨガを伝えられることを本当に嬉しく思います。人も自分も求めているから私はヨガの勉強をつづけています。ヨガで自分の存在について勉強していくのですから、学びが私自身の生き方となります。それをお伝えしていくなんて、こんなに素晴らしいことはないと実感しています。
かつて私がそうだったように、人は迷うことから生きるうえで大切なモノが少しずつ見えてきます。ヨガをお伝えしながら迷い模索してきた事も、一つの大切な体験だったのだと今は心からそう思います。
今年は伝えるお役目が増えました。素敵な体験を重ねてまた1年が過ぎていきます。
出会い、笑い、学びを大切に過ごしていきたいと思います。

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ヨガとは何か? [ヨーガについての知識]

私たちは何らかの不安を抱えて生きています。
それを少なくするために、社会のグループに所属したり、より資格を得たり、居場所を見つけようとさまよったり…そうこうしていると、ある程度自分の望むものを手に入れた人が「あるがままのあなたでいい」「あなたは全てをもってある」とかスピリチュアルな発信をしたりします(笑)そうゆう人たちが、今手に入れた安心を根こそぎ全て失ったときでも、変わらずに「あるがまま」でいられる根拠を、その本人は実はまだ知らないかも知れません。そもそも私たちは生きる目的も自分自身が何なのかも明確に知らないのです。

私もヨガクラスで「あるがままを感じて~」とお伝えする事が多いのですが、そもそも「あるがまま」とはどういうことでしょうか。
私たちは日常の様々なことを考えながら暮らしています。それはほとんど無意識に繰り返される思考や感情です。その思考や感情に飲み込まれていると「あるがままの自分」を感じることができません。だからといってその思考を止めることがヨガの目的ではありません。

その思考や感情が穏やかになったとき、ヨガ風の言い方で言えば「呼吸とともにいるとき」「今ここにいるとき」、自分の中の静けさ、穏やかさ、安らぎを感じている時が「あるがまま」を何となく感じている時です。自分の本質に“近づいている”のです。

ヨガでは自分自身の本質をアートマーと言いますが、アートマーは決して体験する事ができません。ですから体験ではなく“近づく”と表現するのは大切です。アートマーこそが自分が「在る」ことを支えています。
私たちは生まれてから自分が居なくなったことがないのを、自分で知っています。その「在る」がアートマーです。私たちの世界では、様々な出来事、辛いことも嬉しいことも次々に全てやって来ては去っていきます。それに影響されることなく、それを支えているのがアートマーです。映画のスクリーンのように物語に影響されること無く、その映画の世界を支えているように。

その体験できないアートマーを知識として言葉で知っていないと、どんなにアーサナや瞑想を積み重ねても「あるがまま」の本当の意味すらわからないのです。しかし知識として知ることで、アーサナや瞑想を練習することが、さらなる自分の安心を育むかもしれません。それは「あるがまま」の自分の本質の素晴らしさに、本当の意味で深く気づくからです。
そしてそれが真実だからこそ、その片鱗を体験するシャバーサナのひと時に、私たちはとても満たされた気分になるのです。

「ヨガとは何なのか?」その膨大な知識を、私は今も学び続けています。このヴェーダンタの知識は、自分とは?世界とは?という真実を学んでいきます。
ヨガを楽しむ人が、少しでも安心して満たされるように、講座で少しお話をする機会をいただいてます。気になる方はぜひ気軽に聞きにいらしてください。
12/18の講座のアーサナはゆったりしたヨガになります。

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