カルマヨーガ [ヨーガについての知識]
カルマ=行い、カルマヨーガとは「行いがヨーガ」になること。
日本ではボランティアをすることをカルマヨーガと言ったりしますが、それは「行いの結果を手離す」という部分を勘違いした理解からそうなったようです。
「行いの結果を手放す」なんて、言うのは簡単ですがとても難しいです。
私たちはそもそも結果を得るために行動していますし。
もっと大きな見方をすると、そもそも願望があってこの世界に生まれてきているので、生きながらやりたいこと、叶えたいことがいっぱいです。
でも「そもそも人はそれを叶えるために生まれて来たわけではない!」ということに、うすうすでも気づく人がいるわけです。
つまり自分の外側のことに幸せを求めても、決して叶わないということに気づくわけです。
そういう人が、ちょっとヨガや瞑想を始めたりしますね。
自分の過去の大変だったあんな事こんな事が、時間の経過とともに「あれはいい経験だったな」「いい学びだったな」と思えるようになったり、
そもそもあの大変だった時期は、自分の人生に必要だったのだと思えてくるとき、人生が何か計り知れない大きな力に運ばれていると思えたりします。
その何か計り知れないものに、自分を委ねてあるがままを楽しんで生きることができると、「行いの結果を手離す」ことが自然にできるのだと思います。
それが「カルマヨーが」の生き方。
日々の仕事や家事、人間関係も、全てが学びの場であり、運ばれていると心から思えるとき、その人の暮らしがヨーガとなってきます。
ご飯を作るのも、掃除をするのも、子育ても…すべてがヨーガです。
ちょっとざっくりな説明ですが…(笑)
詳しくは講座や勉強会で。
日本ではボランティアをすることをカルマヨーガと言ったりしますが、それは「行いの結果を手離す」という部分を勘違いした理解からそうなったようです。
「行いの結果を手放す」なんて、言うのは簡単ですがとても難しいです。
私たちはそもそも結果を得るために行動していますし。
もっと大きな見方をすると、そもそも願望があってこの世界に生まれてきているので、生きながらやりたいこと、叶えたいことがいっぱいです。
でも「そもそも人はそれを叶えるために生まれて来たわけではない!」ということに、うすうすでも気づく人がいるわけです。
つまり自分の外側のことに幸せを求めても、決して叶わないということに気づくわけです。
そういう人が、ちょっとヨガや瞑想を始めたりしますね。
自分の過去の大変だったあんな事こんな事が、時間の経過とともに「あれはいい経験だったな」「いい学びだったな」と思えるようになったり、
そもそもあの大変だった時期は、自分の人生に必要だったのだと思えてくるとき、人生が何か計り知れない大きな力に運ばれていると思えたりします。
その何か計り知れないものに、自分を委ねてあるがままを楽しんで生きることができると、「行いの結果を手離す」ことが自然にできるのだと思います。
それが「カルマヨーが」の生き方。
日々の仕事や家事、人間関係も、全てが学びの場であり、運ばれていると心から思えるとき、その人の暮らしがヨーガとなってきます。
ご飯を作るのも、掃除をするのも、子育ても…すべてがヨーガです。
ちょっとざっくりな説明ですが…(笑)
詳しくは講座や勉強会で。