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2年ぶりのアシュタンガ生活 [日々のいろいろ]

2年弱お休みしていたアシュタンガヨガのマイソールを最近復活しました。
今は札幌のSATTVAスタジオで練習させてもらっています。

とにかく、楽しい!のです。

ゆっくりとした呼吸の流れに乗りながら、大地を踏みしめ、コアを感じて伸ばす感覚がとにかく気持ち良い。自分が植物にでもなったみたいな感覚です。

10年前にアシュタンガの練習を東京で初めて、最初の2・3年は滑らかな呼吸すら難しく、もちろんバンダもないし体が硬くて重かったです。そこから5年、6年と経つうちに、その時々で違ったものが見えてきます。

アシュタンガは肉体の探求というより自分自身の探求。日々違う心や体を感じながら、思考の流れや癖に気づき、毎日の練習に行けなくなる自分の生活や心を整える。

その先にあるのは、自分の本質と向き合うということ。

「過去」は自分の思考でできているし、「未来」だって自分の思考でできている。
でも「いま」だけは思考ではない。自分がここに「ある」っていうこと。
目に見えない形のない呼吸を通して、そこから同じ目に見えない形のない本質に近づく。

自分というものをどれだけ「考え」を通して理解したきたんだろう。あんな自分、こんな自分、と自分を枠にはめることはどれだけ自分を苦しめてきたのだろうか。

そして同じことを他人にもしてしまう。この世界は自分の考えを通して見ているんだから。

ヨガも瞑想も呼吸法も、それに取り組むことで目指すのは「アンタッカラナシュッディ」
自分にきれいな考えを根付かせること。

アシュタンガの練習は自分のエゴ(考え)を小さくしてくれて、自分の自由さ、リラックス、安心感に気づかせてくれる。

これも2年弱の間、練習をお休みしていたから改めて深く気づけたのかもしれないです。

全ては出会うべくして出会っているから、札幌に来てからのアシュタンガの練習としばしのお休み、そして再開することも、すべて今の自分に繋がっていたのだと思うと、全てに感謝しかないです。

というわけで、お天気の良い日はママチャリで元気に練習に通っています~。
50歳を前に、これ以上日焼けはしたくないのだけど(笑) 楽しいから仕方がない。

↓引っ越し前に東京のシャラで最後の練習をしているときの写真。懐かしい。若い(笑)
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「ヨガとは何か」ヴェーダンタのエッセンスを学ぶ講座 [yogaクラス]

「ヨガとは何か」ヴェーダンタのエッセンスを学ぶ講座の詳しい内容です。

「認められたい」「何かになりたい」と幸せを求めることで、人は満たされ幸せになれるのでしょうか。
私たちが何のために生きているのか、本当は何を求めているのかを知らないで生まれてくるとヴェーダの知識体はいいます。
あるがままの自分を知ること、そしてあるがままの素晴らしさに気づくことで、私たちはリラックスして生きられるのです。お金を稼ぎ、人と関わり、人生の流れに身を任せながら、自由意志を思う存分に楽しんで生きるために、私たちは何を知らなければならないのでしょうか。

〇1回目・2回目
「生きる目的は何か」をヴェーダの知識は教えます。5つの感覚器官を使って知る世界と、知り得ない世界があります。そもそも人は「自分が何なのか」を知らないで生きています。自分とはこんな人、世界とはこんなもの、と過去の経験と記憶を頼って生きているのです。ヨーガとは何か?ヨーギーのゴールは何なのか?そこからヴェーダの世界観を学びます。

〇3回目・4回目
ヴェーダの結論ヴェーダンタは「私とは何か」を教えます。揺れ動く様々な感情はどこから来るのか。成功や不成功とどう向き合えば良いのか。日々上がったり下がったりする自分の目撃者とは何か。ヴェーダンタのエッセンスに触れながらサンスクリット語の意味も深めましょう。ダルマ、モークシャ、アートマー、イーシュワラ、カルマヨーガ、ニャーナヨーガなど。

〇5回目
バガヴァットギーターを少し知ってみましょう。物語の背景を知ることでヨガの世界観が広がるかもしれません。戦士アルジュナは戦いの場で究極のヴィベーカ(見極め)が起こりクリシュナに教えを求めます。私たちが目覚めるとはどんなことなのでしょう。

昨年の6回講座よりも少し簡単な内容なので、どなたでもご参加いただけます。
お申込みお問い合わせ hiromimurakoshi★iCloud.com (★を@に変えてください)

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「目に見えないけれど確かにある大切なもの」 [日々のいろいろ]

6月にヴェーダンタの座学を開催しようと準備しています。

「ヨガとは何か?」ヴェーダンタのエッセンスを学ぶ5回講座になります。

講座のチラシの中に「目に見えないけれど確かにある大切なもの」という言葉を入れています。

ヴェーダンタを学んでから、本当にこの言葉の意味を温めているからです。

でも目に見えないことを言葉にするのは難しいものですよね。

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人はは長い時間をかけて様々なことを経験しながら生きています。それをもとに自分の見方で世界を見始めます。

大人になると人はだんだんズルくなります(笑) 悪いものを悪いと知っていても、自分に嘘をついてそれをしたりします。

だから時々わが子を見ているときドキっとすることがあります。子供は人が本来持っている純粋な「良い悪い」のセンスを素直に現すからです。大人になった自分が、本当はわかっているのに、ちょっと悪いことをしている事に改めて気づかされます。

大人になると社会の中で計算高くなったり、つい自分の利益や見返りを無意識に計算しているときがあります。そんな時、それに気づき本当に嫌な気持ちになることもあります。

ほとんどの人が自分の富や成功を望んでいます。それを得るために自分の中の価値構造を狂わせてしまい、本当に悪いことをしてしまう人もいます。

お金を得ることはもちろん大切ですし、生きてはいけません。でもそれを得るために見えなくなるもの、失うものが、大人にはあるような気がします。

私たちが生きる上で、本当に大切にしなければならないものって何なのでしょうね。
人の信用、正しさ、優しさ、絆、思いやり、愛・・・?



これらはもちろん大切ですが、ヨガを学ぶ中でその言葉が持つ意味やとらえ方が変わってきます。

私たちは毎日自分の考えの中で生きています。私が経験した過去の記憶を頼りに、自分の見方で世界を見て、何かを手に入れて、何か自分以外のものに満たされようとしています。

でも瞑想やヨガの最後シャバーサナで満たされた感覚はちょっと違います。自分が自分に満足しています。何かを得て満足しているのではなく、本当にあるがままの自分に安心や静寂が現れます。

その静寂の中に「目に見えないけれど確かにある大切なもの」がちょっぴりあるような気がします。

だってヨガのシャバーサナの後は、とっても穏やかで優しい自分になれるからです。



ヨガの知識を学んでいると、自分がモノや世界を見る視点がどんどん大きくなってきます。

自分にとって都合の悪い出来事があっても、それは大きな流れの中で起こるべくして起こったのだとか、そもそも悪いと思うのは自分の勝手な見方であってそれがただ起こっただけなのだと思えたり。

それはこの世界の大きな秩序や調和が、ゆったり自分とつながる感覚。日本人はお陰様でって言い方をしますけれども、それに似ていて、何か私たちの世界を支えている大きな存在があります。

私たちが山や太陽など自然に対して感謝の気持ちをもって拝むのも同じです。何かあるんです、そう「目に見えないけれど確かにある大切なもの」が。



「目み見えないけれど確かにある大切なもの」
それは自分の中にも、この世界にもに、たくさんあふれているような気がします。

ヴェーダンタを勉強するのはそれを言葉で論理的に伝えてくれるからです。

さらに私たちの不安はどこから来ているのか。私たち何を求めて生きているのか。
ヴェーダンタとは、私が知らない私を知る知識。ヨガの勉強はいつも「わたし」と繋がっています。

その「目に見えないけれど確かにある大切なもの」を一番大切にしながら生きる人がヨーギーなのです。



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