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「怒り」から学んでみる [ヨーガについての知識]

私に怒りが起こるとき、それは気づきのチャンスです。

怒りや感情が沸き起こるのはなぜでしょうか?
それは過去に、何かがあったからです。

記憶に基づいて、怒りや感情が沸き起こります。
なにか自分が馬鹿にされたような、自分が損なわれたような感じ。

あるいは、悲しみや、反発する感情、自分を守るために相手を非難したり…。
私たちの考えや感情気分は、日々大忙しです(笑)

ただ、知らないのです。
私にはたくさんの過去の経験と記憶があり、様々な状況を過ごしてきたので、いま怒りが沸き起こりました。ただそれだけのことです。

そしてもう一つの事実は、いま私に怒りを起こさせた相手にも、たくさんの過去の経験と記憶があり、様々な状況を過ごしてきたので、いまそんな風に振舞うのです。ただそれだけ。

自分の感情を客観的に見るためには、ただこの真実から見てみます。
そして自分自身に、その感情から離れる「すき間」を作ります。

ヨーガではこれを「シャマ-sama-」と言います。

こう考えようとか、考えを変えようとしているわけではありません。
怒りを止めるわけでもないし、哲学でもありません。

ただ、自分が見えていなかった真実に目を向けるだけです。

シャマができれば、自分をネタにできます。
「あなたがそんな態度を見せたら、わたし怒っちゃうのよね!」と笑えます。

これがヨーガの始まりです。考えを変えるのではなく、真実をみる。
私たちは見えているようで見えていないことが沢山あります。

ヨーガが教えるリアリティは、ただただビッグな視点です。
宇宙規模なのです。ですから世界観とか宇宙観とか言います。

その真実をリアルに見ていくことで、自分の客観性シャマがどんどん大きくなります。
目の前で大問題だったことが、真実から見ると、ただこの世界で起こっている一つの出来事です。

問題から逃げるわけではありません。客観的視点によって、さらに落ち着いて行動できます。
自分が自分にリラックスしながら、この世界の出来事を楽しめるのです。

「願望を手放せ」なんて言いません。真実の視点から見れば、願望は与えられた恩恵なのです。
「考えを止めろ」なんて言いません。考えを止めたら生活できないじゃないですか。

ヨガスートラはヨガの聖典ではありません。「心の作用を止めること」は間違いです。
考えを止めるのではなく、「間違った見方をしているその視点を正しくしていくこと」なのです。

ヨーガでシャマが大きくなると、見えてくることがあります。

世界は何か影響しあって、目の前に様々な出来事が起こっていること。
そして自分は何か大きなモノに支えられて運ばれていることが見えてきます。

ヨーガの知識を通して、経験を通して、自分自身に真実をみます。
「私こそがリラックスの意味なのね」と。

いらゆる「ワンネス」は、やって来ては去っていく体験ではありません。
あるがままの世界をあるがままに超客観的に超知的に見るとき、私は私によって理解されます。

それをほんの一時、体験するのが「ヨガアーナンダ」シャバーサナのリラックスです。
自分を完全に受け入れられるのです。その可能性はすでに私に「ある」のです。

だから私たちは、それを求めます。みんな自分にリラックスしたいのです。

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こちらのインドのおじさんは怒ってません、ガン見です(笑)






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