SSブログ
日々のいろいろ ブログトップ
前の10件 | -

全ては見えないのだけど [日々のいろいろ]

今朝は冷えたので、雪の結晶がとてもきれい!たくさんの粉雪が車のフロントガラスに舞い降りてきました。
それから、ほんの2.3分で、雪はいっきにころころと7ミリくらいのまん丸いアラレになり、ガラスに積もってきました。そして、それもまた2・3分で、みるみる小さなアラレになり、また粉雪へと戻りました。美しい見事な雪の変化に思わず見とれてしまいました。

この変化はいったいどうなっているのか?温度や湿度、上空の寒気、風の流れ、空気中のチリ…様々な状況があって刻一刻と変化します。計り知れないほどの要因があり、様々なことが起こり結果が返ってきます。すべては見えないのだけど、その一片を私は眺めていました。それはまさにこの「世界」そのものだなあと思いました。それがダルマ。この世界の全て。

IMG_4073.JPG

私たちの人生もしかり。様々な要因があって全てが見事に運ばれていきます。個人の力ではその要因を全て知ることはできない。なのに私たちは10年後、20年後の自分を予測して生きています。明日死ぬかもしれないのにね。

私たちはまさにダルマに運ばれていますね。そこにほんの少し個人として自己選択権をもっているけれど、それでも大きな流れに逆らえない。やはりダルマ運ばれながらも、その全体から一瞬一瞬から結果が返ってきます。思い通りに行くときもあれば、行かない時もあるし、全く違う結果になることもあります。

理想を掲げるのもよいけれど、まずは自分のすべき役割をやること。自分の中にある「良い悪い」のセンスを大切にして自分に嘘をつかないこと。そして目の前の出来事に「好き嫌い」の感情で飲み込まれないようにすること。いつも全体、ダルマを想える客観的な視点をを忘れないこと。

これができると、自分が生かされていること運ばれていることに、深い感謝が生まれてきます。そこにイーシュワラ(神)が見えるのですね。日本人なら多くの人が持っている感覚かもしれません。だけど「いつも」ではないのですよね。すぐ忘れて、個人の思い通りにならないとワタワタしちゃいます。でもそのイーシュワラをいつも想える生き方を「ヨーガ」というのです。ヨーガを生きる人は感謝や祈りが人生に加わります。

人は成熟していくと自然と「ヨーガ」の生き方を求めますよね。体を動かすヨガをしなくても、ちょっと瞑想に興味をもったり、自分の人生を俯瞰したり。年を取るってそうゆうことですかね。
人は誰でも、本当はヨーガの生き方を求めて生きているのですよね。

今朝、アシュタンガヨガの朝練に向かう車の中で、雪を見てダルマを想いました。いま辛い人も、上手くいかない人も、みーんな運ばれています。だから何年か後で「あれはいい経験だった」ときっと思えるんです。みんなそうです。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

与えられたことを。 [日々のいろいろ]

新しい年の半月が過ぎました。

年が明けてから東京へ行き、パパさん宅の大掃除をしながら東京でちょこっと休日を過ごしました。

札幌に戻りヨガのお仕事の合間に9日間のタットヴァボーダという聖典を学ぶクラスをzoomで受講させていただきました…あっという間に1月の半分が過ぎてました。早いですね。

今年もみなさまどうぞよろしくお願いいたします。



新しい年を迎えると「今年はこんな年に…こんな自分に…」と思いを巡らす方も多いかもしれません。

若いころの願望にはさまざまな幻想が含まれているものです。「立派な人になろう」「何かを達成させよう」「重要な人物になろう」「認めれれる人物になろう」

ちょっと年を重ねた私たちはヨガの生き方の中で感じるものがあります。「なんだか自分は運ばれているなあ」「自分にはこれが必要なんだなあ」

理想の自分を追い求める生き方から、ヨガの学びの中で価値構造が整ってきて(もちろんある種の知識と理解が必要なんですが)だんだん必要ない願望を手放せるようになります。

「好き・嫌い」「損・徳」を基準に選ぶことから、「与えられたこと」「必要なこと」に自然と向き合うことができるようになりますね。

年齢を重ねるのも悪くないものです(笑)



告白しますと…

私は毎朝6~7時までzoomでチェータナナンダ先生の講義を聞いていますが、2か月ほど先生がインドに行かれるので、しばらく朝寝坊ができる~と渡印を心待ちにしておりました…(笑)

そうしましたら、講義がお休みの間グループスタディを開催するので、少し担当しませんかと先生からご連絡をいただきました。

担当は2日間なのですが、やはりそのためには準備もしなければならないし…と思うと実は最初、ちょっと気が重かったのです。

でも最近つくづく思います。声をかけてもらったという事は「自分に必要な経験なんだろうなあ」と。

1週間ほどモヤモヤしたんですが(笑)お引き受けさせていただきました。モヤモヤしたのは自信がないからです。でも上手くいかなくても、その失敗の経験ですら必要なことなんだろうなあと、今は心から思えるのです。



若い頃のように幻想を含んだ願望を持つと「自分をコントロールしながら生きる」とう辛さを伴います。
歳を重ねて、これを手放せるとき、私は私にリラックスします。


全体の中で生かされていることへの感謝があります。

できればどんな時もどんな瞬間も、そうありたい!と願っています。


ヴェーダンタを学んできたこの6年間、サボったりお休みしたりすると、いつも戻されるんです。そして毎回「戻されて良かったなあ」と心から思っています。



※グループスタディはダクシナ制でどなたでも参加できます。ご興味あればパラヴィデャーケンドラムHP~こちらからどうそ
以前札幌に来てくれた谷戸くんもチャンティングのクラスをやりますよ。

ガネーシャ.JPG

〇Essential Yoga 水曜10:30~@SATTVA
 2019/ 1月16.30 2月13.27 3月13.27… 

〇Vedanta class 日曜15:30~@SATTVA 
 2019/ 1月27日 2月17日 3月17日…







nice!(0)  コメント(0) 

万引き家族 [日々のいろいろ]

先日、映画「万引き家族」を見てきました。

内容はもちろん、貧困の現場や俳優さんの演技力にも(!!)いろんな意味で圧倒される2時間でした。

私が気になったのは、大人と一緒に得意げに万引きをしている少年が、ある時から少し犯罪に気づくというあたりでした。



人間は誰でも「悪いことをしたくない」という感覚をもっています。人を傷つけるのは嫌だし、うそをつくのも嫌だし、同じように自分がされても嫌なのです。

ヨーガの言葉を使うと「サーマニアダルマ」といいます。人種や国籍に限らず、誰もが持つ普遍的な良い悪いの感覚とも言えます。

だれでも子供のころは、小さな嘘をつくだけでも、心の中がモヤモヤしたはずです。しっかりとサーマニアダルマを感じていたのでしょうね。でも大人になるとそれはだんだんマヒして…、例えば赤信号でも道を渡ってしまったりしちゃいます(笑)

実際に私も、我が子に「ママ、信号守らないとだめだよ~」と言われ、ドキっとしたこともありました。「ルールを守る」ことは誰でも気持ちがよいことを子供はちゃんと知っています。

大人は無意識に、この普遍的な良い悪いの感覚よりも、自分の都合を優先して物事を判断しているのでしょうね。



映画の中では、大人は自信たっぷりに万引きをしていますが、実際の心の中はどうなんでしょうね。悪いことをしているモヤモヤした気持ちを無視しているのでしょうか。それとも信号無視と同じで感覚がマヒしているのでしょうか。

映画では、万引きを通して心のモヤモヤに気づいた少年を見ていると、私までドキドキしてきました。
少年はその後、どんな行動をとるのでしょうか・・・ストーリーはこのあたりが軸になっています。気になる方はご覧になってくださいね~。



私たちはいつでも安心を求めています。なのに自分の心のモヤモヤを無視して、自分に嘘をついていたら、自分を好きになれません。自分を受け入れることができなくなります。私たちは100%自分自身に安心したいのです。

でも貧困の環境でそれは簡単なことではないのかもしれません。
安心を得るために寄り添い、支えあい、時には悪いこともして、お互いの痛みを共感しあって生きている姿に、人間という存在がなんだかいとおしく思える、私にとってそんな映画でした。


〇私の開催するクラスの日程はこちらです~よろしくお願いします。

manbikikazoku.jpg
nice!(0)  コメント(0) 

無意識に意識を注いでいくこと。 [日々のいろいろ]

ヨガをするにはみんな大きなヴィジョン(理想)があります。

痩せようとか、健康になろうとか、最初は身近なことが目的かもしれません。

続けるうちに、ヨガは人がより良く生きるために、とても有効的な道具だと気づきます。

心の落ち着きや安らぎ、自分を客観的に感じることが、生きる力となるからです。



だれでもより良く、心豊かに生きたいと思っています。

そのためには自分をよく知ることが大切かもしれません。

学校では様々な知識を学びますが、「私」については誰も教えてくれないですね。

チャック・ミラー先生のアーサナのクラスでは、いつも「自分の癖に気づくこと」「癖に戻ろうとする自分に気づくこと」と繰り返し繰り返し言われます。

私たちはいつも自分の経験を頼りに、自分の癖やパターンを体に持っています。

でも体だけでなく、それと同じことが日常でも無意識に繰り返されているかもしれません。

過去の事を悩んだり、人や物を見て嫌悪感をもったり、嫉妬したり自信を無くしたり…。



人は自分を知るための手がかりを自分の外側に探します。

占いの類で分析したり、健康に関する情報だったり、もう少しヨガっぽいことですと

体の経絡や内臓に関する知識とかアーユルヴェーダとか様々あります。

自分の何かを知る手掛かりにはなりますが、自分自身を外側の知識から知ることはできません。

なぜなら自分「この私」とは意識であり、自分自身でしか感じることができないのですから。

日ごろ無意識に何を考えて体の機能がおかしくなっているのか。

無意識に何を考えて体に緊張感を作ったり、健康を損ねたりしているのか。

無意識に何を考えて自分を見下げたり小さく感じているのか。

日々起こる願望のあれこれから、無意識に何を求めて生きているのかということまでも。

私のことは私が感じる以外に外側から知ることはできません。

でも私たちは自分のすべてを知りません。自分にかなり無意識な生き物なのです(笑)



アーサナの練習は、その「無意識の自分」に意識的になっていく練習だと思います。

どんな呼吸をしているのか。どんな思考のパターンが出やすいか。

そして無意識に繰り返される体の癖を感じたり、その癖を起こす感情に気づいたり。

自分の「無意識」に「意識を注ぐ」ことで、自分の癖やパターンに気がつき

肉体レベルから、思考・感情レベルまで「無意識」を意識的に変えていく。

それができるとアーサナ練習は私たち自身をさらに輝かせてくれることでしょう。

ヴェーダンタでも学びましたが、それができるのは唯一人間だけなのだそうです。

チャック先生に会った後、アシュタンガヨガの練習を日々繰り返すことの意義を

簡単ですが言葉にしてみたくなりました。

チャック先生からはもう10年前から学んでいます。

「自分の先入観や体の癖に気づくくこと」

いつも変わらない真実を、変わらず伝えて下さる先生です。

10年かけて私はゆっくり成長しながら理解を深めています。

2017 Chuck.JPG




nice!(0)  コメント(0) 

ヨーガの宇宙観ヴェーダンタキャンプ2日間 [日々のいろいろ]

二日間のヴェーダンタキャンプがありました。

札幌で勉強している皆さんが、いよいよスワミ・チェータナーナンダジから直に学ぶことができる機会がめぐってきたことを、本当に嬉しく思いました。

shijima.JPG4.jpg

札幌でのヴェーダンタ勉強会メンバーや、「ヨガとは何か」講座ご参加くださった皆さんが集まって下さいました。2日間その皆さんの楽しそうな様子、嬉しそうなお顔に私もほっこりでした。

日常から離れた自然の中で、厚真町「Shijima yoga」しじまヨガスタジオさんでの心地よい時間。(1周年イベント10月7・8日あります)

畑のとれたてのお野菜を食べて、カフェスペースでお茶を飲み、薪ストーブであったまり、お外でお散歩したり、オノで薪割りも楽しみました。

Shijima 7.JPG
 
2日間で約12時間くらいスワミジから学びますが、それでもヨーガの宇宙観を学ぶほんの入り口なのです。

でもヴェーダンタの学びを深める、とても豊かな時間だったと思います。私も何年もかけて学んでいます。

Shijima6.JPG

この物理的な世界と、もう一つの「かすかなエリア」。そして最も大切なヴェーダンタが明かす「私とは何か」の知識。

今はまだ、”つかみどころのない” 感覚かもしれませんが、時間をかけてゆっくり学ぶことで自分の中でそれがリアリティーとなってきます。

あるがままの世界をあるがままに見ること。

”私とは何か”そして”世界とは何か”という真実を知ること。

だからこそ、この世界を私を”リラックス”して楽しめること。

そして、本当は誰もがそれを求めていること。

またみんなで、ゆっくり学びを深めていけたらと思います。

ご参加くださった皆さん、
一緒に開催を準備したShijima yoga のジョン(カナエさん)と、スワミジの京都センター在中のユリさん、
そして運営を支えてくださったスタッフのみなさん、
本当にありがとうございました!

Hiromi
nice!(0)  コメント(0) 

2年ぶりのアシュタンガ生活 [日々のいろいろ]

2年弱お休みしていたアシュタンガヨガのマイソールを最近復活しました。
今は札幌のSATTVAスタジオで練習させてもらっています。

とにかく、楽しい!のです。

ゆっくりとした呼吸の流れに乗りながら、大地を踏みしめ、コアを感じて伸ばす感覚がとにかく気持ち良い。自分が植物にでもなったみたいな感覚です。

10年前にアシュタンガの練習を東京で初めて、最初の2・3年は滑らかな呼吸すら難しく、もちろんバンダもないし体が硬くて重かったです。そこから5年、6年と経つうちに、その時々で違ったものが見えてきます。

アシュタンガは肉体の探求というより自分自身の探求。日々違う心や体を感じながら、思考の流れや癖に気づき、毎日の練習に行けなくなる自分の生活や心を整える。

その先にあるのは、自分の本質と向き合うということ。

「過去」は自分の思考でできているし、「未来」だって自分の思考でできている。
でも「いま」だけは思考ではない。自分がここに「ある」っていうこと。
目に見えない形のない呼吸を通して、そこから同じ目に見えない形のない本質に近づく。

自分というものをどれだけ「考え」を通して理解したきたんだろう。あんな自分、こんな自分、と自分を枠にはめることはどれだけ自分を苦しめてきたのだろうか。

そして同じことを他人にもしてしまう。この世界は自分の考えを通して見ているんだから。

ヨガも瞑想も呼吸法も、それに取り組むことで目指すのは「アンタッカラナシュッディ」
自分にきれいな考えを根付かせること。

アシュタンガの練習は自分のエゴ(考え)を小さくしてくれて、自分の自由さ、リラックス、安心感に気づかせてくれる。

これも2年弱の間、練習をお休みしていたから改めて深く気づけたのかもしれないです。

全ては出会うべくして出会っているから、札幌に来てからのアシュタンガの練習としばしのお休み、そして再開することも、すべて今の自分に繋がっていたのだと思うと、全てに感謝しかないです。

というわけで、お天気の良い日はママチャリで元気に練習に通っています~。
50歳を前に、これ以上日焼けはしたくないのだけど(笑) 楽しいから仕方がない。

↓引っ越し前に東京のシャラで最後の練習をしているときの写真。懐かしい。若い(笑)
542594_274922525918149_882093793_n.jpg

「目に見えないけれど確かにある大切なもの」 [日々のいろいろ]

6月にヴェーダンタの座学を開催しようと準備しています。

「ヨガとは何か?」ヴェーダンタのエッセンスを学ぶ5回講座になります。

講座のチラシの中に「目に見えないけれど確かにある大切なもの」という言葉を入れています。

ヴェーダンタを学んでから、本当にこの言葉の意味を温めているからです。

でも目に見えないことを言葉にするのは難しいものですよね。

NEC_1207.JPG

人はは長い時間をかけて様々なことを経験しながら生きています。それをもとに自分の見方で世界を見始めます。

大人になると人はだんだんズルくなります(笑) 悪いものを悪いと知っていても、自分に嘘をついてそれをしたりします。

だから時々わが子を見ているときドキっとすることがあります。子供は人が本来持っている純粋な「良い悪い」のセンスを素直に現すからです。大人になった自分が、本当はわかっているのに、ちょっと悪いことをしている事に改めて気づかされます。

大人になると社会の中で計算高くなったり、つい自分の利益や見返りを無意識に計算しているときがあります。そんな時、それに気づき本当に嫌な気持ちになることもあります。

ほとんどの人が自分の富や成功を望んでいます。それを得るために自分の中の価値構造を狂わせてしまい、本当に悪いことをしてしまう人もいます。

お金を得ることはもちろん大切ですし、生きてはいけません。でもそれを得るために見えなくなるもの、失うものが、大人にはあるような気がします。

私たちが生きる上で、本当に大切にしなければならないものって何なのでしょうね。
人の信用、正しさ、優しさ、絆、思いやり、愛・・・?



これらはもちろん大切ですが、ヨガを学ぶ中でその言葉が持つ意味やとらえ方が変わってきます。

私たちは毎日自分の考えの中で生きています。私が経験した過去の記憶を頼りに、自分の見方で世界を見て、何かを手に入れて、何か自分以外のものに満たされようとしています。

でも瞑想やヨガの最後シャバーサナで満たされた感覚はちょっと違います。自分が自分に満足しています。何かを得て満足しているのではなく、本当にあるがままの自分に安心や静寂が現れます。

その静寂の中に「目に見えないけれど確かにある大切なもの」がちょっぴりあるような気がします。

だってヨガのシャバーサナの後は、とっても穏やかで優しい自分になれるからです。



ヨガの知識を学んでいると、自分がモノや世界を見る視点がどんどん大きくなってきます。

自分にとって都合の悪い出来事があっても、それは大きな流れの中で起こるべくして起こったのだとか、そもそも悪いと思うのは自分の勝手な見方であってそれがただ起こっただけなのだと思えたり。

それはこの世界の大きな秩序や調和が、ゆったり自分とつながる感覚。日本人はお陰様でって言い方をしますけれども、それに似ていて、何か私たちの世界を支えている大きな存在があります。

私たちが山や太陽など自然に対して感謝の気持ちをもって拝むのも同じです。何かあるんです、そう「目に見えないけれど確かにある大切なもの」が。



「目み見えないけれど確かにある大切なもの」
それは自分の中にも、この世界にもに、たくさんあふれているような気がします。

ヴェーダンタを勉強するのはそれを言葉で論理的に伝えてくれるからです。

さらに私たちの不安はどこから来ているのか。私たち何を求めて生きているのか。
ヴェーダンタとは、私が知らない私を知る知識。ヨガの勉強はいつも「わたし」と繋がっています。

その「目に見えないけれど確かにある大切なもの」を一番大切にしながら生きる人がヨーギーなのです。



ヨガを伝えるというお仕事 [日々のいろいろ]

どんなお仕事でも悩みはあるものですが、私も10年ほどヨガをお伝えしながら、「何を伝えたいのか」を模索してきました。
ヨガは体だけでなく確かに心にも響くけれど、それを言葉で伝えるのはとても難しいからです。

ヨガで変わっていく自分や、ヨガで見えてくる世界観が確かにあるのに、それを伝えると、時に自己啓発的な言葉になっているような感じがして自分が嫌になる事もありました。だってヨガで伝えるのは「あたな変わっていきましょう」ではなく「あるがままの素晴らさに気づきましょう」だから。そこに揺るぎない真実があるからです。だから自己啓発的な「あなた変わりましょう」や、宗教的な「あなたを救います、信じなさい」や、哲学的な「こう考え生きましょう」とは全く違うのです。そもそも私たちは変わることも救われる必要もないのです。

「人がどんな存在なのか」「何を求めて生きているのか」この答えは、何かスピリチュアルな話題のように聞こえてしまいます。それこそが、人が本当にそれを知らないで生きているという事実です。
それを知りつくすことを1番大切に生きるヨガという生き方(知識)が紀元前からあるのです。私たちは人生で起こる様々な体験を通していつも学んでいます。そこにこのヨガの世界観が明確に見えてくると、どんなお仕事も、どんな出会いも、どんな体験も、起こっては過ぎていくという甲乙つけ難いものとなります。そして自分が存在する事と生きる意味が真実として繋がっていくのです。

座学でこのヨガの世界観をお伝えすると、嬉しそうな笑顔の方やハッとなさっている方、本当に反応や感想は様々です。先日も座学の参加者からメッセージを頂きました。
『飲み物のように、言葉がすとんと入ってきて、求めていた考え方ってここにあったんだなぁと、心地よい空間でした。ヨガを学び始めてから、今まで自分の学んできたものが全てめぐりめぐって繋がり、ひとまとまりになっていく感覚が心地よく、ヨガをどんどん深めたくなっていきます。』

こんな言葉を頂けると、ヨガを伝えられることを本当に嬉しく思います。人も自分も求めているから私はヨガの勉強をつづけています。ヨガで自分の存在について勉強していくのですから、学びが私自身の生き方となります。それをお伝えしていくなんて、こんなに素晴らしいことはないと実感しています。
かつて私がそうだったように、人は迷うことから生きるうえで大切なモノが少しずつ見えてきます。ヨガをお伝えしながら迷い模索してきた事も、一つの大切な体験だったのだと今は心からそう思います。
今年は伝えるお役目が増えました。素敵な体験を重ねてまた1年が過ぎていきます。
出会い、笑い、学びを大切に過ごしていきたいと思います。

IMG_2925.JPG






久しぶりにトレーニング [日々のいろいろ]

スタジオヨギーのティーチャースキルアップトレーニングを受講しました。

ヨギーエグゼクティブディレクター、ヤスシ先生による二日間で14時間の講座です。

ティーチャートレーニングは本当に久しぶり。

日ごろの自分のクラスが、ある程度パターン化していることや、表現、言葉遣い、アジャスト、様々なことで気づきがありました。

何年たっても学ぶことは大切だなと改めて感じます。

そして学びに集まった先生たちとの時間もとても良かった。

ヨガは流派が違っても、ゴールは同じ。

私たちの意識の源は全て一つだっていうこと。

だから流派が違っても、お互い尊重し合い学び合える。

ヨギーの先生はもちろんほかのスタジオの先生たちとも、本当にいい時間を過ごせたことも素晴らしい経験でした。

IMG_2819.JPG

ちなみに、インストラクション中の私の口癖は「少し」と「OK!」でした(笑)

気づくとクラス中にホント何回も言っているの・・・・気をつけます。



10月いっぱいで [日々のいろいろ]

厚別ヨガシャラの金曜クラスを10月いっぱいまでにして、11月から大通駅のマイスタジオさんにお引越しします。

市内中央区や南区、近郊の恵庭市、江別市、岩見沢市など、厚別区にお住いの方より、遠くから乗り継いで来てくださる方が多かったので、交通の便の良い大通にクラスを移すことに決めました。

厚別では2年半くらいクラスをさせていただきました。

その間にお子さんが生まれたAちゃんが、先日お子さんを連れて来てくれたりと、少人数でアットホームな雰囲気でした。

ヨガを初めてする方からインストラクターさんまでオールレベルのクラスでした。

厚別ヨガシャラ.JPG
K子さん、お孫さんを抱く練習かしら(笑)とっても可愛がってました。


新しい大通のマイスタジオさんは、地下歩行の12番出口からすぐのビルです。

雨や雪の日でも通いやすく、札幌駅からも徒歩で通いやすい場所です。

11月から隔週で「ヨガとヨガの知識と瞑想を学ぶ 全4回の入門講座」を開催します。

年明けの1月からも続けていきますが、少しまとまったクラスをやりたくなりました。

ご参加お待ちしています。

マイスタジオクラス.JPG

前の10件 | - 日々のいろいろ ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。