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新しいクラス(勉強会)のご案内 [ヴェーダンタ勉強会]

東京の少し涼しくなりました~夜は虫の声が響き渡りますね。
blogを見てくださりありがとうございます。

さて、日曜の夜にヨガの学びをお伝えするクラス開催のご案内です。
私がこのような講座を始めて、今年で5年目となりました。
今回は講座という形ではなく、zoomで自由に参加しやすい形にしたいと思います。

テキストは新しく、ヴェーダーンタの世界観を日常の言葉で語られている「Spiritual Heritage 」を使います。これらの、私たちが学ぶテキストは全てスワミチェータナーナンダジが日本語に訳して下さったものです。

そして今回から、私は伝統的なやり方と同じダクシナ制でクラスを始めたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

日曜日20:00-21:30 月3回くらいの予定です。
IDをFacebookでお知らせしますので、参加してみたい方はまずメールにてご連絡をください。
hiromimurakoshi@gmail.com

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以下(Facebookより)スケジュールと主な内容です。

9/27(日) 20:00-21:30
初回は故スワミダヤーナンダジの講話ビデオ(20分)を見てみましょう。これは「思いやり」というテーマでアメリカのTEDで放送されたものです。ヴェーダーンタが明かす真実を日常の言葉で語られています。
『人は「全体の意味」を発見しなければなりません。』『「思いやり」というのは、あなた自身の本質が力強く現れたものだと発見するでしょう』
スワミジの力強い肉声を日本語訳付きで味わいましょう。スワミジのご紹介や新しいテキスト「Spiritual Heritage」についてもご紹介していきます。(今回のテキストはメールなどで配信となります)

10/4(日) 第1話「スピリチュアルな遺産とは何か?」
〇私たちはスピリチュアルという言葉に何か曖昧さを感じます。しかしこのインドのスピリチュアルな文化は、全人類の遺産で、生きるための知識体なのです。
〇自意識をもつことで足りてない自分に気づく私たちは、生まれながらに満足を求めています。私が満足であるために、全体宇宙とハーモニーである為の選択を練習しなければなりません。この理解からカルマヨーガが始まりますね。
〇人生で何が大切なのかが理解できる文化は人類普遍の宝物です。私たちが学ぶヨーガとは何かを、まずは全体像からとらえましょう。

10/11(日) 第2話「自己尊厳の発見」
〇自己満足のためには自己尊厳が必要です。自己尊厳には2つのレベルの満足があります。ある程度の自己尊厳がかなう「ある程度の満足」、そして自分自身をあがままに知ることからの「絶対の満足」があります。
〇私たちは、満足に生きるために成功の意味を正しく見る必要があります。これがスピリチュアルに見るということです。
〇私たちに現れてくる願望という能力は、恩恵なのです。願望は大切です。ところがその願望が自己尊厳を失わせる原因となるのはなぜなのでしょうか。

第3話「成功の意味を再定義する」
第4話「健全な考え方の発見」
第5話「与えられているものをよく見てみる」
第6話「神とは何か」…この後からダルマやカルマ、祈り瞑想などの話題やイーシュワラとの関わり方、人の情緒的な成長、ヨーガの生き方の話題へと進んでいきます。

テキストは全部で50話ほどあり長いのですが、まずは12月まで3ヶ月やってみたいと思います~私にとってもチャレンジなのです。
詳しいスケジュールや内容は、その都度ご連絡をだしながら進めていきます。時には復習したりゆっくり進みますので、途中でお休みがあっても大丈夫です。

ご興味ありましたらぜひメッセージでご連絡くださいね。ご質問やお問い合わせもいつでもどうぞ。
よろしくお願いします~[ほっとした顔]

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あるがままの世界 [ヴェーダンタ勉強会]

「フォレストガンプ」を久しぶりに見たことを、先日の勉強会で話しました。
もう20年くらい前の映画で、若いころ見た記憶とは全く違った印象でした。
以前見たとき私は、ガンプが一つのことに突き進む姿に、何かを達成する素晴らしさに感動したのだと思います。当時の私は若かったので、それしか見えなかったのだと思います。

今みると自分の見方が変化していて、「あるがままの世界」つまりヨーガでいう「ダルマ」(世界の秩序)を正しく見ることができるガンプだから、あるがままに生きる姿が素晴らしいのかなと思いました。ガンプの知的な障害がそうさせているのかもしれませんが、それによって考えが制限される部分があるので、ガンプはいわゆる周りの人と駆け引きをするような心がありません。


戦争のシーンが出てきます。死にそうな上官をガンプは命をかけて助けだします。上官は生き残ったにもかかわらず両足を失います。上官は「なぜ俺を助けたのか」とガンプを恨み、人生を恨み、荒れた人生を送ります。でもガンプはそんな上官を「あるがまま」に受け入れます。

数年後に落ち着きを取り戻して生活する上官に会います。自分の体を自分の人生を嘆き、荒れていた上官が、あるがままの現実を受け入れた姿を見てガンプが言うのです「神さまと仲直りしたんだ」と、、、。もう本当に美しいシーンでわたくし号泣でございました(笑)


神という言葉はあまり好きではありませんが、この世界を誰が作ったんかと言えば、神としか言いようがないかもしれません。あるがままの世界と仲直りすることとは、ただ現実を受け入れろというだけでなく、あるがままを正しく知るということ。私たちには通常そこが見えないから生きるのが辛くなります。

私たちは自分の意志でこの世界に存在しているわけではないのです。いつ死ぬのかも知らずに目的も知らずに生きています。人生とは行先も知らずに、気がついたら列車に乗せられていた、というようなものです(笑) いつまで乗るのかどこに行くかもわからないから、とりあえず焦って、買えるだけお弁当を買って、より多くの座席を確保して、不安だらけで乗っているようなものですよね。

生きるとは、よく考えると不思議なことです。でもこの真実に目を向けないわけにはいきません。

真実に一切目をむけずに生きていると、何かを頑張らなきゃ、この人生で何かを手に入れなきゃ「幸せになれないよ」という社会が作り上げた妄想に追われます。どうすればより得られるのか、稼げるのか、「いいね」をたくさんもらえるのか…様々なものに苦しめられます。生きるのが嫌になっちゃうかもしれません。それを達成するために、無意識に周りとの駆け引きをしながら生きていたりします。


この映画を見ていると、ヨガのこんな言葉を思い出しました。
「ダルマに沿って生きる人は、ダルマに守られます」

人生の目的は、何かを外側のモノを得るためだけなのではなく、「何か外側のモノを得るためだけに生きているわけではない!」とまず気づくこと。変わらない自分の存在の真実に気づくこと、あるがままの世界に気がつくこと。ここから先はヴェーダーンタで学ぶこと。

この世界にある様々な「How to」で幸せは叶わない。

真実を知るから、この世界のお金儲けも、さまざまな競争も、成功も失敗も、客観的な視点を持って楽しめます。真実がみえてくると、たとえ貧乏でも不健康でもこの世界を楽しめるのだそう(笑)

フォレストガンプの映画が見せたいのは、努力して継続して何かを手に入れ成功させることではなく、「ありのままの世界」を見せるためなのではないかと思えてきました。劇中に出てくる言葉もいいですね。「人生はチョコレートの箱。開けてみるまでわからない。」
まあ映画は儲けないといけないので、ガンプはどんなことでも結局は成功して手に入れるお話なんですよね。でも人間のほとんどはそちらに興味があるのです。

ヴェーダンタを勉強していると何か真実がゆっくりゆっくり見えてきます。
宗教みたいで「神」という言葉は好きじゃないけど、世界はまさに神としか言いようがないミラクルです。そして真実が見えてくると感謝の気持ちがあふれてきますね。
ヨーガの学びは生き方を学ぶこと。How toや考えを学ぶわけではない。
勉強会では「いーしゅわらやなまは」40ページあたりをゆっくり進んでます。

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幸せを感じるとき [ヴェーダンタ勉強会]

勉強会では今「いーしゅわらやなまは」P.30を読み進めています。

先週みんなでシェアしたこと。

私達が心地よいとか幸せだなと感じることがあります。例えばシャバーサナや、何か趣味に夢中になっているとき、人と楽しみや感動を分かち合っているとき。

その瞬間「私」は何を感じているのでしょうか?

普段、私たちは当たり前に「体が自分」だし、「私ってこんな人、こんな仕事をしている人」と個人をとらえています。

体の内側が自分だし、その向こうは自分ではないと、「個人」という確かな感覚を感じています。

これは当たり前のことです。

でも幸せを感じるときは、その「個人」という感覚が少し薄れています。

シャバーサナの時の心地よさ、人と楽しい時間を過ごしているとき、私の意識は開けています。

もちろん「個人」ではあるけれど、その個人という考えから少し解放される時があります。

そんな時私たちは心地よさや幸せを感じます。

反対に人と張り合っているときや、ケンカしているときは、全く逆です。

「私が」という考えに縛られています。そんな時は心地よくないのです。

これは誰もが持っているあたりまえの感覚ですが、この感覚を大切に生きることがどれほど素晴らしいか最近しみじみ思います。
恥ずかしながら数年前は、そんな風に心から思えなかったのです。


表で思っていても、内側が穏やかじゃないことへの矛盾が多々ありました。
ヴェーダンタの「私とは何か」の知識は、心からそう思える真実を与えてくれます。 ちょうど「いーしゅわらやなまは」ではその真実に触れ始めたところです。 私が全体なのだということ。まずそれを例え話から感覚的に感じていきます。 それをシェアする時間はとても嬉しいのです。 8DDD9F8A-D640-421E-970E-2EFCB90A6C45.jpeg

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