講座が終わって [yogaクラス]
ヴェーダンタのエッセンスを学ぶ講座(全6回)が終わってホッとしていました。
今回は初めて同じメンバー15人で進める6回の講座。どの順番でどの話題をお伝えするのか、毎回2時間分の原稿作りに時間をかけていました。
教えの伝統と方法論は決まっているのですが、なにせ膨大な知識体なので、その全体像を伝えたり、細やかな言葉の意味から探ったり…
のんびり学んできたものを、復習してまとめ「伝える」ことで、学びも、学ぶ意味も、さらに深まったように感じます。
私たち人間は「個」というセンスにどれだけとらわれているのでしょう。
私が行う、私が食べる、私が選ぶ、私が生きる…この当たり前のセンスが、ヴェーダンタの知識によって変わってきます。
木が森全体に生かされているように、人だって全体の中で生かされている。
肉体を持って現れたこの世界で、自分がやるべき役割は何だろうか。
この世界で何を見て、何を学んでいかなければならないのか。
少しだけその全体が見えてくるとき、「個」のセンスから自由になる小さな「ゆとり」が生まれます。
その小さな「ゆとり」が生きるうえでの本当のリラックスとなります。
ヨーガという生き方が私を運んでくれています。
皆さん本当にありがとうございました。
今回は初めて同じメンバー15人で進める6回の講座。どの順番でどの話題をお伝えするのか、毎回2時間分の原稿作りに時間をかけていました。
教えの伝統と方法論は決まっているのですが、なにせ膨大な知識体なので、その全体像を伝えたり、細やかな言葉の意味から探ったり…
のんびり学んできたものを、復習してまとめ「伝える」ことで、学びも、学ぶ意味も、さらに深まったように感じます。
私たち人間は「個」というセンスにどれだけとらわれているのでしょう。
私が行う、私が食べる、私が選ぶ、私が生きる…この当たり前のセンスが、ヴェーダンタの知識によって変わってきます。
木が森全体に生かされているように、人だって全体の中で生かされている。
肉体を持って現れたこの世界で、自分がやるべき役割は何だろうか。
この世界で何を見て、何を学んでいかなければならないのか。
少しだけその全体が見えてくるとき、「個」のセンスから自由になる小さな「ゆとり」が生まれます。
その小さな「ゆとり」が生きるうえでの本当のリラックスとなります。
ヨーガという生き方が私を運んでくれています。
皆さん本当にありがとうございました。
2016-11-20 19:58
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